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荒川静香が世界殿堂入りを果たす!フィギュアでは日本人3人目です

投稿日:2018-04-19 更新日:

2006年のトリノ冬季オリンピック女子金メダリストの

荒川静香さんが世界殿堂入りしたことが発表されました。

これはフィギュアでは日本人3人目となりました。

世界フィギュアスケート殿堂入りとは

アメリカ合衆国のコロラド州コロラドスプリングスに所在があります。

世界フィギュアスケート殿堂の管理を行い、世界フィギュアスケート博物館と栄誉の殿堂は、アメリカフィギュアスケート協会と同じ建物にあります。

世界フィギュアスケート殿堂の選考は、一般からフィギュアスケートスケートの発展に大きく貢献したと思われる候補者を募集して、その後、23人の選考委員によって決定されると言われています。

また、選手の選考では、アマチュアを引退してから、5年以上が過ぎていていなければ、候補者にはなれない決まりが事があるそうです。

世界殿堂入りした人物の多くは、選手やコーチとして活躍したり、実績を残した人が選ばれるようです。

1976年頃から受賞者が先行されるようになりました。

受賞者と荒川静香さんが世界殿堂入り

  • 1004年 伊藤みどり受賞(2018年現在48歳)

伊藤みどりさんは、1992年アルベールビルオリンピックの銀メダリストです。

世界選手権で優勝(1回)

女子選手では史上初のトリプルアクセルジャンプと3回展ジャンプを成功しました。

  • 2010年 佐藤信夫受賞(2018年現在76歳)

フィギュアスケートコーチ

荒川静香さんにとっては、佐藤信夫コーチと師弟関係があります。

多くのフィギュアスケートのトップ選手を育ててます。

  • 2018年 荒川静香受賞(2018年現在36歳)

トリノオリンピック金メダリストです。

当時は日本人選手が金メダルを獲得したのは、荒川静香さんが初めての快挙として讃えられました。

全日本ジュニア選手権で、史上初の3連覇を果たしました。

【荒川静香さんの喜びの声】

「大変光栄に思います。ニュースで知ったばかりでまだ実感が湧かない」とコメントしているようです。

また、「競技者として、プロとしての経験から、たくさんのことを学び、多くの方々と出会い、ご指導ご鞭撻(べんたつ)、そして応援していただいた日々が、今日に至ることを感謝します」と述べています。

荒川静香さんの功績

16歳で歳で初出場した1998年長野オリンピックでは13位。

2002年、ソルトレークシティーオリンピックは、代表を逃しています。

2004年、世界選手権大会には初優勝を飾りました。

2006年、トリノオリンピックはショートプログラム3位からフリーで逆転したことから、日本で初オリンピック金メダリストとなりました。

この時の技で注目を浴びたのは、「イナバウアー」でした。

「イナバウアー」とは、背中を反対に弓なりにそらした技です。

トリノオリンピックでは、「イナバウアー」は点数に入らない技でした。

しかし、荒川静香さんは「イナバウアー」にこだわり、点数にならなくても演技に取り入れました。

長い手足を活かしたエレガントな滑りは日本中の注目を浴び、この年の流行語大賞に「イナバウアー」が選ばれています。

荒川静香さんのプロフィール

名前:荒川 静香(あらかわ しずか)

愛称:しーちゃん

生年月日:1981年12月29日

出身地:東京都

身長:166㎝

既婚者:2013年12月29日(荒川静香の誕生日)に入籍

夫:一般男性

子:2014年、第一子(女児)を出産しました。

(荒川静香さんは、フィギュアスケートは、大変なので、子どもには「寒いよー!」と言って、興味をそらしているようです。)

職業:元フィギュアスケート選手で、現在プロのスケート選手

引退:2006年(トリノオリンピック後、5月に引退を表明しています)

所属クラブ:プリンスホテル

マネジメント:ユニバーサルスポーツマーケティング

荒川静香さんのこぼれ話

【こぼれ話 宮城県とのご縁は?】

父の転勤で1歳の時に、宮城県仙台市に転居しました。

宮城県はスケートが盛んだったことから、5歳の時に遊びに行った勝山スケーティングクラブ(宮城県)で、興味をもったそうです。

小学校1年生の時に、本格的にフィギュアスケートを始めると、小学校3年生の時には、5種類の3回転ジャンプをマスターしたと言われています。

高校1年生の時に、(1997年から1998年)シニアへ移行しました。

一般的なサラリーマンの家庭では、費用がかかるフィギュアスケートを続けていくために、母が衣装を手作りして支えたことをあきらかにしています。

幼少時代に宮城県に転居したことから、宮城県が出身地として表記されることがあるようです。

【こぼれ話 性格は・・・】

荒川静香さんは負けず嫌い!

オリンピックの代表の座を争った元・フィギアスケート選手の村主章枝さん(すぐり ふみえ)とは、確執があると言われていました。

現在は、和解が報道されるようになりました。

また、銀メダリストの浅田真央選手にも、ライバル視が高かったことがテレビで報道されました。

当時は、まだジュニア選手だった浅田真央さんでしたが、将来を期待されていたことから、コーチや周囲から優遇されていたことが、我慢できなかったようです。

コーチに「浅田真央さんと私(荒川静香)は別の人物ですから!」という強気な発言があったことを記憶しています。

荒川静香さんが金メダリストとなった後も、浅田真央選手へのコメントには厳しい発言が多かったようです。

しかし、荒川静香さんがプロのスケート選手として活動していく中で、気持ちの変化があったのかわかりませんが、(上から目線は変わりませんが)優しい発言も増えてくるようになったように感じました。

浅田真央選手のスランプの時期には、擁護するような言葉もあったことから、選手として認めているのだと思います。

荒川静香さんと仲が良い人に、元・フィギアスケート選手の安藤美姫さんや、鈴木明子選手が挙げられますが、自分よりも成績が振るわない人でないと仲良くなれない女王体質のようにも見えちゃいました。

しかし、羽生結弦選手だけは荒川静香さんと宮城県仙台市でフィギアスケートを通じて尊敬していることがわかります。

荒川静香さんが人知れず、フィギアスケートに情熱を燃やした日々を近くで感じているからだと思います。

羽生結弦選手のイナバウアーは宇野昌磨選手へ受け継がれ、点数につながらなくても芸術の一つとして大会ごとに磨かれているようです。素敵ですよね。

そんな風に感じたことから、「負けず嫌い!」と書いて締めくくります。

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最後まで読んで下さってありがとうございました。

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