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羽生結弦選手2連覇おめでとうパレードの様子と宮城県への愛が熱い

投稿日:2018-04-22 更新日:

羽生結弦選手(23歳)は、2018年4月22日、仙台市の祝賀パレードで、たくさんの方々の声援を送られながら凱旋しました。

平昌冬季オリンピックの、男子フィギアスケート部門で、金メダリストを獲得した後でも、次の目標に向かって進む羽生結弦選手に影響された多くの人々がこの2連覇おめでとうパレードに駆け付けました。

【2連覇おめでとうパレードの様子】

宮城県仙台市のメインストリートを交通規制をして、羽生結弦選手が平昌冬季オリンピックで金メダルを獲得したことへの、おめでとうと、沿道に人々が集まりました。

気温29.9度

 

2016年のパレードでは、9200人が沿道に集まりました。。

2018年には、1.1キロメートルを18000人が集まり、海外からもファンが駆け付けました。

この企画では8万枚作られたTシャツはあっという間に完売しています。

東日本大震災の復興支援のために、平昌冬季オリンピックで履いたスケート靴オークション850万円するそうです。

ありがとうと手を振り続けて笑顔の羽生結弦選手の気持ちを記者会見で語っています。

「自分自身の企画したアイスショーが終わってから、少し期間があったが今日のパレードまでのその間ワクワクして待っていました。」と述べています。

それから「改めて仙台に帰ってきたという思いと、金メダルの重みを感じました」

「おめでとうの声や、ボク一人のために来てくれた優しい目を感じることができたのは、やはり地元だから温かいのだと思ってありがたいと思った」と話しています。

記者の質問に、滑っている最中も人々の顔を見ることができるというが、このパレードの一人一人の声は聞き分けることができましたか?という問いには、「たくさんの人々の識別できないけれども、気持ちをちゃんと感じていることがわかって嬉しい気持ちになった」ようです。

宮城県のローカル放送局の方々への感謝の気持ちも述べていました。

「世界で戦っていく中で、忙しくなってしまったことから、ずっと取材してくださる人や、地元の放送局のローカルの取材ができなくなってきているのが寂しいのと、悪いなあと感じてしまう」と明らかにしています。

記者からの質問の中で、夢が叶った気持ちを尋ねられると、

「夢が叶った立場になって、夢が叶って本当に良かったが、夢が叶うまでの過程はつらい事や乗り越える幸せは、夢を叶えるまでの一瞬を大切にしてほしい、夢を叶えるまでにはいろいろなことがある」ことを述べていることから、金メダルを獲得するまでと、次を見据えていることがあるように思います。

パレードが終わった後の沿道のゴミは6袋だけでした。

羽生結弦選手が前日のSNSでファンに、ゴミの始末を呼びかけたことの結果です。

パレードの後のゴミを心配していた関係部門やボランティアの人々は、ゴミ袋が6袋だけだったことに驚いたことをあかしています。

【パレードの途中で、安倍晴明のポーズを披露した理由】

内々のスッタフから、パレードの途中での中で、何かしてほしいという希望があったことから、平昌冬季オリンピックで披露した、安倍晴明のパフォーマンスしたようです。

自分一人のために、たくさんの人々が来てくれたことから、交差点の向こうから大きな声で声援を出してくれる人々のために、遠くの人にも届いて欲しいという気持ちで、見えるようなものを考えたと述べています。

また、多くのボランティアや、駅の売店の人々は、「今日は結弦(ゆずる)君の日」だと口を揃えるように、話している人々に対して、手作りのポスターを作って応援してくれたり、店舗の中からパレードを観てくれる人がいることが嬉しかったと述べています。

また、たくさんの人が仙台市に集まってくれたことから、地元の仙台の企業さんの経済を潤し発展してくれることを願い、それが復興につながるといいと語っています。

海外からパレードを見に来た人に対しての気持ち

海外からもパレードを観に来た人たちへのメッセージは、東京都や大阪府のような大都市とは違った、地方都市ならではの魅力が仙台にあることを「都会の様子と緑が共存している風景もあるから、仙台だからこそ感じられる温かみを感じて欲しい。」という言葉で表現しています。

また、東北全体はまだまだ復興が足止め状態になったいるが、新たな気持ちで前を見ている土地へも足を運んで欲しいと話していました。

【仙台でスケートをやりたい思い】

羽生結弦選手は、ソチオリンピックの2前まで仙台でスケートを続けることができたが、世界に目を向けた時に、世界と戦える設備が整っていないことから、カナダへ拠点を移したことを改めて述べています。

 

2011年、東日本大震災では仙台のリンクが崩壊してしまいました。

当時の記者会見では「その時にスケートを辞めようと思った」と述べています。

被災した人たちの事を思うと、好きなスケートを続けていいのか悩んだといいます。

しかし、一般の人々の声は、羽生結弦選手が滑ることで、頑張ろうと思う人が多かったようです。

そういった事情から東日本大震災から7年が過ぎた現在でも続けていて、熊本県の震災にも協力していることがわかっています。

【今後の目標のひとつには】

「仙台でスケートを続けてこられたのは荒川静香さんが金メダルを獲得したことが大きかったことから、次は自分がそういう存在になりたい」と述べています。

スケートがやりたくても続けられない子供たちのために、何か役立つことがしたいようです。

仙台での地元でまたスケートがしたいことから、このような気持ちが強くなったと話しています。

荒川静香さんの関連記事はこちら

【夢を叶えるためには?】

宮城県の古川高等学校の新聞部からの質問に対して

  • 夢をすべて叶うとは思っていない。
  • 夢を叶えるためには何かを犠牲にしなくちゃならない。
  • 時にはやりたくないこともやらなくてはいけない。
  • 人生をかけて掲げている大きな目標に関しては、それだけに集中すること。
  • 何も恐れずにかけること
  • 小さな目標を積み重ねていくうちに、大きな夢が叶うのだと思う。

【平昌冬季オリンピック】

平昌冬季オリンピックでは人生をかけたと語っています。

平昌冬季オリンピックでは、自分の応援の場を設けてもらったことに感謝していることを述べていました。

応援してくれた人々に対して、平昌で競技に集中する間も、地元の人々の姿を感じることができたことが、金メダルを獲得する原動力になったそうです。

そして、ソチオリンピックの時は未来にもっと目が向いていたことから、金メダルを獲得するその先を見据えていたと話しています。

この平昌冬季オリンピックでは、人生を賭けたほど、金メダルを獲得することにこだわり、取りたかったものが取れたと語り、皆さんの思いをちゃんと受け止められたかなと思い、受け止められたことが良かったと語っています。

【女性関係について】

フィギアスケートの選手仲間が羽生結弦選手の女性関係については、現在、彼女はいないようです。

選手時代に女性の話しを聞いたことがないそうです。

【こぼれ話①憧れのプルシェンコ選手】

羽生結弦選手の子どもの頃のヘアスタイルは、キノコスタイルと自らイラストにしています。

これは、憧れのロシア人のプルシェンコ選手のヘアスタイルを真似したものです。

後に、オリンピック選手として活躍する中でプルシェンコ選手と会うことが出来た時に、プルシェンコ選手も嬉しい気持ちをあきらかにして、現在も親交が続いているようです。

スケートを続けていくか悩んだ時には、プルシェンコ選手からオリンピックで1度だけ金メダルをとったからといってやめてはいけないと教えを受けたことから、ケガに悩んでも諦めずに滑り続けています。

【こぼれ話②仲間の選手の声】

そして、日本のスケートのレベルを押し上げたトップ選手と選手仲間からも讃えられています。

4回転が高いことと、幅も、美しいこと、点数をもらえるジャンプにこだわって子どもの頃から練習してきた結果が、あらわれていると選手仲間は話しています。

それから羽生結弦選手の言葉がきれいなのは、子どもの頃から、日記をつけているそうです。

そのために話す言葉も理路整然としてきちんとした日本語を話すことができるのだといいます。

分析力が子どもの頃から長けているのは、この日記を読み返すことで磨かれているそうです。

トップアスリートは、前向きな言葉を出していくことによって、気分をそちらに向けていくことをしますが、時には大きなことを言って!と言われると、結果が振るわなかった時のことを考えて、言えない場合があるようです。

しかし、その前向きな言葉こそがアスリートの成績を押し上げるのだと選手たちは話します。

羽生結弦選手が記者会見で話す、前向きで強気な発言は、有言実行となり結果につながっていることから他のアスリートに勇気を与えて、良い影響を与えているそうです。

プロフィール

名前 羽生 結弦(はにゅう ゆずる)

愛称 ゆず

生年月日 1994年12月7日

出身地 宮城県仙台市

身長 172㎝

職業 フィギアスケート選手

所属 全日本空輸(ANA)

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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