Woman 女性音楽

中島みゆきが超セレブリティ家系で皇室と縁戚関係にあります

投稿日:2018-04-23 更新日:

中島みゆきさんは20代前半でヒット曲を、立て続けに発表してから現在に至るまで、名曲を生み出し続けている、数少ないシンガーソングライターです。

北海道の大きな大地に育った中島みゆきさんの楽曲にある、力強さと芸術性は一筋縄ではいかない複雑な家系から来るものかのも知れません。

知れば知るほど、魅惑的でセレブリティの家系の中にいる中島みゆきさんが、皇室の三笠宮家と縁戚関係にあることを掲載しました。

セレブな中島みゆきさんですが、そのルーツは自分の力を振り絞って生きてきた一族という印象があります。

自ら制作した楽曲、「宙船」(そらふね)の生き方が、

中島みゆきさんの生き方そのものなのかも知れません。

【中島みゆきさんは超セレブ】

中島みゆきさんの家系図は、一言でいうとセレブです。

  • 中島みゆきさんの父、中島 眞一郎(なかじま しんいちろう)産婦人科医師
  • 母 典子 山形県出身
  • 弟 医師
  • 祖父 帯広市議会議長 中島 武市(なかじま ぶいち)

(中島武市の実父の臼井源吉は大垣藩士で死別の後、養父の中島源吉も死別)

  • 中島源吉の妻、志乃の兄は、初代大蔵次官で男爵、郷 純造
  • 志乃の兄、郷 純造の息子が、郷 誠之助です。

(ちなみに志乃という名前は、郷家の家系図にないことから正妻ではなかったのかも知れませんが、この時代には一般的によくあることです。)

  • 中島 誠之助の腹違いの妹 東京川崎財閥の二代目当主の川崎 八右衛門に嫁ぎました。
  • 中島 誠之助の腹違いの弟 岩崎 弥太郎、三菱の創業者の養子で名を郷 昌作と言います。

後に、郷 昌作→岩崎 豊弥(とよや)と改名。

(岩崎 弥太郎には多くの実子がありますが、郷 誠之助の男爵という強さに憧れて縁戚関係を持ちたかったようです)

  • 岩崎 豊弥の娘は昭和天皇の侍従長である入江 相政(すけまさ)と結婚。
  • 入江 相政の姉の邦子は高木 正得(まさなり)子爵と結婚。

高木 正得と邦子の娘、百合子は三笠宮「崇仁親王」と結婚。

こういったことから、中島みゆきさんと三笠宮家は縁戚関係にあります。

これは一部ですが、どこを切り取ってもセレブです。

中島みゆきさんの生い立ちの関連記事はこちら

【祖父、武市さんのお話し】

祖父 帯広市議会議長 中島 武市(なかじま ぶいち)

武市さんは商売で成功していたので、財界人として知られた人物です。

また、議長を務め、帯広市の開拓をして学校や市に寄付したことから篤志家(とくしか)と言われています。

ただし、成功の陰では野心家の一面から非難されることもあったそうです。

武市は、貧しさの中から這い上がった苦労人と言われています。

明治29年に岐阜県(現在は本巣市 もとす)の農村地帯で16歳まで育ったと言われています。

武市さんの母の志乃さんは、実父の臼井 忠義さん(大垣藩士でいわゆる武士です)に死別すると、農家の中島 源吉さんと再婚したが、すぐに死別しているようです。

そういったことから武市さんは学校を諦め、16歳の時に、大阪府の心斎橋の呉服店に奉公に出ました。

ここで鍛えられた武市さんは、大阪商人へと成長したそうです。

奉公先の主家の娘を恋に落ちましたが、すべてを失って(娘も失い)岐阜県の実家へ戻りました。

大阪の都市部の生活に慣れしたんだ武市さんは、農業の仕事をすることができませんでした。

そこで、大正3年から4年頃、一度も会った事がないが華やかな都会の生活ぶりの、従兄(いとこ)の郷 誠之助(ごう せいのすけ)さんを頼って上京しました。

誠之助さんは厳しい人物として知られ、武市さんは相手にしてもらえなかったことから、認めて欲しくて職業を転々をしているうちに、北海道の帯広市に移り周りの人々に助けられながら商売を始めています。

武市さんには、貧しさから学問を学ぶ機会がなかったので、小学校の校長先生の言葉を胸に大事にしていたと言います。

それは、「世の中に名を残すような仕事をすること」

昭和13年に、北海道帯広商工会議所副会頭となり、20年ぶりに誠之助さんを尋ねると、喜んで受け入れてくれたことが嬉しかったそうです。

その後、帯広市議会議員になり、銅像など約50点ほど帯広市に贈呈するなどして地域に貢献したと言います。

武市さんは若い時には、貧しかったために、医者に診てもらうことに苦労したそうです。

だから、世の中の不幸な人を助けるためにも、中島の家から医者を出したかったという思いがあり、長男の眞一郎さん(中島みゆきの父)に、その思いを託したと語られています。

眞一郎さんは理系は苦手で、本を読んだり文学的なことを好む性格だったようです。

後に、眞一郎さんと仕事を一緒にしたことのある人物は、中島眞一郎さんのことを、

「仕事には厳しい医師で、名医だったために、一日に何件も手術をこなしていた」

「手術の準備は、きちんとしていたし、一緒に仕事をする看護師にもプロフェッショナルを求めた」

「その反面、休みの日には自宅に招待して、妻の手料理でもてなしてくれた」

「中島みゆきさんの母は、とても美しく上品で、家庭的で料理の上手な女性だった」

中島みゆきさんの家庭の様子を感じることができそうな風景ですね。

父の武市さんに逆らうことができずに医者の道を歩んだとされていますが、私の父や伯父などの時代は、職業を自ら選ぶことができなかった時代だったことや、家長の意見は絶対という家風が、どの家にもあったように思います。

【郷 誠之助さんとはどんな人物?】

源吉さんの妻、志乃さんの兄は、初代大蔵次官で男爵、郷 純造

志乃さんの兄、郷 純造さんの息子が、郷 誠之助さんです。

(ちなみに志乃という名前は、郷家の家系図にないことから正妻ではなかったのかも知れませんが、この時代には一般的によくあることです。)

志乃さんは中島みゆきさんの曾祖母になります。

中島誠之助さんは「先輩も後輩も、親分も子分も持たない」と公言し、親戚であっても特別扱いすることがなかったようです。

そのために、武市さんが誠之助さんを頼って上京しても、相手にしなかったと語られています。

武市さんは悔しかったし、誠之助さんに認めて欲しくて、絶対に大物になる!と決めたことから、職業を転々としながら北海道に移り住んだようです。

北海道の帯広市に拠点を移したのは、この地に岐阜県にゆかりのある人が多かったことから、助けてくれる人に恵まれたことなどで、商売を始めることができました。

再会した時に誠之助さんに認められた時には、本当に嬉しかったことを述べています。

中島誠之助さんは1865年(元治2年)生まれで江戸時代の(現在の東京都千代田区麹町)で、大名屋敷に暮らしていたそうです。

父、郷 純造さんには正妻との間に子がいなかったため、純造さんの弟の子を後継ぎとして養子に迎えていました。

純造さんが40歳を過ぎてから女中との間に生まれたのが、誠之助さんだったそうです。

そういった複雑な生い立ちから、誠之助さんは負けん気の強い性質となり、何かと父の純造さんとぶつかることが多く、言うことを聞かなかったことから、伊藤博文さん(野口英世の前の千円札の人物)らが、「親を悩ませてはいけない」と諭したと言います。

父の純造さんは、弟の子を養子に迎えた長子を跡取りにしたかったようですが、そのことで反発することもあったようです。

しかし、義理の兄が若くして亡くなることから誠之助さんが嫡男となり後継ぎとなりました。

誠之助さんは、東京大学法科に入学後、

ドイツのハイデルベルグ大学に留学

ドイツでは森鴎外さん達と交流を深めています。

次の企業の再建整理をに着手しているそうです。

  • 日本運送
  • 日本鋼管
  • 王子製紙

明治44年 東京株式取引所の理事長

その後、貴族院議員(父の後を継いで男爵)

晩年、誠之助さんを慕う財界人が月に一度、誠之助さんの自宅(東京都千代田区番町)で会合を持つようになると、「番町会」と名付けられるようになりました。

「潔白の帝人事件」

しかし、マスコミの報道で「番町会が帝人株を巡って政治の人と、財界の人との間で、賄賂の疑いがあり、誠之助さんの自宅(番町)がその現場である」とされたことから、関係者が逮捕された事件が「帝人事件」です。

その後、この報道は間違いだったことが明らかになりました。

しかし、この帝人事件により斎藤内閣は崩れ、政治の人や財界の人を、疎んでいた軍部の人々の勢いがかかります。

その結果として、1936年の二・二六事件(日本のクーデター未遂事件)につながっていくことになります。

1936年年、誠之助さんは、世の中の移り変わりに、儚い財界から引退を表明しました。

1942年(78歳死去)

プロフィール

名前 中島 みゆき(なかじま みゆき)

(本名 中島 美雪)

名前の由来は、雪の深いに日に生まれたことから父が名付けたという。

生年月日 1952年年2月23日

出身地 北海道札幌市

職業 シンガーソングライター

所属 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

最後まで読んで下さいましてありがとうございました。

りおさ

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
りおさ

りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

-Woman, 女性音楽

Copyright© , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.