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紀子妃と礼宮様のご婚約は昭和から平成の御代が変わる異例中の異例

投稿日:2018-05-13 更新日:

昭和の年号が平成に御代を変えた年のことでした。

秋篠宮殿下の妻、紀子(きこ)妃は、ある日突然報道され、私達の目の前に現れたことを思い出します。

※きこ様とふりがなを付けるのは、祖母に紀子(いとこ)さんの存在があることから、別のブログで掲載していることから、ふりがなをつけました。

紀子妃の名前の由来と西郷隆盛の弟が曾祖父母の恋のキューピットになった記事はこちら

どうして秋篠宮様と紀子さまのご婚約発表が異例なの?

この時のご婚約発表は異例のできごとでマスコミから注目されました。

当時、天皇家のご次男の秋篠宮殿下(当時は礼宮文仁親王 あやのみやふみひとしんのう)(23歳)は、イギリスに留学中でした。

紀子(きこ)妃の旧姓は、川嶋(かわしま)で、当時は22歳です。

父の名前は川嶋辰彦。

職業は学習院大学教授で、どことなく世間離れした話し方が特徴だったことを記憶しています。

なぜ、異例なのか?

  1. 学生結婚だったから、まだ早いと言う意見もあったから。
  2. 1月に昭和天皇がお舟入り(亡くなることを表した言葉です)したことで「喪中」にあったこと)ご婚約発表があったのは、その年の8月でした。
  3. 皇室と民間のご婚約発表だったから。
  4. 皇室において年功序列を重んじることから、兄より先に結婚ということは考えていなかったから。

学生結婚と年功序列

当時の秋篠宮殿下(礼宮文仁親王)は、23歳でイギリスに留学中でした。

その頃、紀子(きこ)妃は、学習院大学院に通う22歳。

昔ながらの考えで、年功序列を重んじる時、兄が先に結婚することが習わしになります。

民間の紀子様

民間から嫁ぐというと、庶民的な印象がありますが、よくよく話しを聞くと庶民的ではないように思います。

美智子妃や、雅子妃も、由緒あるお家柄から嫁いでいます。

川嶋紀子さんも、ルーツは武家の由緒あるお家柄にありました。

では、なぜ紀子妃が庶民的と呼ばれたのか?

それは学習院大学のキャンパス内になる団地のような作りの教職員住宅「3LD」に住んでいたから。

しかし、紀子妃のルーツは壮絶な物語がある武家の由緒あるお家柄です。

当時、3LDのプリンセスとマスコミに呼ばれていますが、本物のお嬢様とは紀子妃のような育ちの方ではないでしょうか?

川嶋家にはテレビがない

紀子妃の家庭にはテレビがありませんでした。

マスコミや芸能人やアニメを知らずに育ったようです。

幼少時代から父の仕事の関係で、海外生活をしていることから、国際豊かな才色兼備の持ち主です。

また、帰国すると学習院大学中等科へ編入して高等科へと進学しています。

高等科では恵まれない人のために、自ら街頭に立ち募金を募るなどボランティア活動に励んでいるそうです。

ご婚約発表からマスコミに追われるようになってからも、今までと変わらず知人の大人に挨拶するように礼儀正しく振舞う姿に、私は子どもながらに感動したことを覚えています。

大人になったら紀子妃のような素敵な女性になりたいと思ったものです。

私は進学のために上京すると、学長の屋敷内にある小さな学生寮に住まわれてもらっていました。

目白駅から学習院大学の正門の前を通る時、一台の赤いベンツが出てくると、道は空いているのにタクシーが道を譲りました。

道が空いていたことから不思議に思ったものです。

今思えば、学習院大学は皇室の方や、皇室に将来嫁ぐかも知れない子息の学びの場所として、崇める存在でありタクシーが道を譲る行為は何気ない日常の1ページに過ぎないようです。

私はその後、社会人になると都内にある公共施設へ出向しました。

その時の朝と帰りの挨拶は「ごきげんよう」でした。

本社に戻ると朝は「おはようございます」帰りは「お疲れさまでした」です。

今は実家でのんびり家族と過ごしていますが、「ごきげんよう」の時代は楽しい夢のような思い出です。

自分が居る場所によって、着るものは話す言葉さえも変わり、それが顔や表情に表れることの大切さを知るきっかけになりました。

紀子さまのと礼宮殿下の婚約会見

昭和時代から平成へ御代が変わった時、私達の目の前にマスコミを通じて突然現れた人物は「川嶋紀子」さんでした。

1989年(平成元年)1月に昭和天皇の喪にあった最中、8月にご婚約発表があったことから、異例の出来事として注目されました。

ご婚約内定者としてテレビに映っ紀子(きこ)妃は、父の川嶋辰彦さんの隣で、微笑んでいるだけの可愛らしい女性でしたが、その頬笑みは奥ゆかしいとされ、微笑みを真似する女性が溢れたことを思い出します。

翌日には、この記者会見で着ていた水玉の洋服が売れ切れとなり、水玉のブラウスであればどんなブランドであっても売れるという事態が起こりました。

その後、秋篠宮殿下(礼宮)と公式の記者会見を迎えます。

当日の洋装は、濃紺のワンピース姿で現れました。

振り返ると、美智子妃は白色のファッション。

雅子妃はレモンイエローの鮮やかなワンピースでした。

真子様は爽やかな若草色のワンピースでしたね。

若い女性のご婚約発表は、喜びにふさわしい色の洋装で現れるのですが、

紀子妃の時だけは、違っていました。

昭和天皇の喪中にあったために、濃紺のワンピースで配慮したのかも知れません。

秋篠宮殿下(礼宮)と紀子(きこ)妃のご婚約発表は、和やかな雰囲気で幸せな温かみを感じる会見でした。

紀子(きこ)様は、言葉を丁寧に選ばれてお話しされていたことを記憶しています。

語尾に「ございます」とつけて、時々、秋篠宮殿下(礼宮)の顔を見上げては助けを求めるように微笑む仕草に、「紀子様スマイル」というネーミングがつきました。

紀子妃(きこ)は、世の中の女性の憧れNO.1となったのです。

女性達はバブルの時に来ていたボディコンファッションから、清楚で奥ゆかしい、そして愛くるしい若い女性の姿に、洋装を変えていきました。

1990年(平成2年)喪が明けると1月に結納の儀が執り行われると正式に婚約が成立しました。

川嶋紀子さまの馴れ初め

1985年、学習院大学文学部心理学科へ進学すると、構内にある書店で(当時)礼宮文仁親王(あやのみやふみひとしんのう)をたまたま見かけて声をかけたのが出会いです。

その後、礼宮文仁親王が主催するサークル活動の「自然文化研究会」に勧誘したことから交流を深めていったと伝わっています。

紀子妃は、手話サークル・心理研究会などのサークル活動にも熱心だったようです。

礼宮文仁親王はご自分の車に紀子妃(きこ)を乗せて、神奈川県の葉山へドライブに誘い、早い段階で住まいの宮中に招き、プロポーズされているそうです。

学習院大学の近くにあるスナックでお酒を嗜むこともあり、自らが主宰したサークルの自然文化研究会の活動では、仲間と共に木曽路や熊野なんどに泊りがけの旅行も行かれています。

そのサークル活動には宮内庁の警護はなかったと伝えられています。

礼宮文仁親王は、ご自身の考えと行動力でパートナーを見つけ、一般人と同じように交際を深めてご婚儀へ進めました。

また、礼宮文仁親王が主催するテニスサークルでは、(当時)皇太子昭仁親王や美智子妃とテニスを楽しんで和やかな雰囲気にしっかり溶け込んでいったそうです。

プロポーズは即答で答えたと伝わっています。

父の職業が学習院大学教授ということから、早い段階でプロポーズを想定され、絶対に断らないという想定ができていたのかも知れませんね。

秋篠宮殿下(礼宮)の隣に寄り添ってご婚約会見の紀子妃には、迷いがなくマスコミから質問されるたびに、秋篠宮殿下(礼宮)の助けを求めるような仕草と微笑みには、奥ゆかしい清楚で可憐な日本の美がありました。

紀子妃は、留学経験があり皇室と近い環境で育ったことから、民間と言えども価値観が合うのでしょうね。

学習院大学に通う知人に話しを聞くと、幼少時代から通う生徒は遠くからでもわかるそうです。

地方から上京して大学からの入学すると、使う言葉や立ち振る舞いなどにも、どことなく違いがあるようです。

同じクラスになったとしても、話したことがないまま卒業しているが、困ったことは何もないと話していました。

1989年(平成元年)9月ご婚約発表。

1990年(平成2年)1月結納の儀が執り行われると正式にご婚約が成立。

ちなみに長女の真子様と小室さんの出会いも、大学の構内でしたね。

長女の真子様の結納の儀を平成から次の御代へ変わる年になる可能性が高いことから、真子様が幸せに嫁ぐことを誰よりも願っているのは母の紀子妃のように感じます。

川嶋紀子さまのプロフィール

名前 旧姓、川嶋 紀子(かわしま きこ)

生年月日 1966年9月11日

出身地 静岡県(父の仕事の都合で当時は静岡県駿河に住んでいました。)

最後まで読んで下さってありがとうございました。

りおさより

 

 

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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