Men Men-Sports

長嶋一茂のお坊ちゃまキャラの裏に野球とパニック障害に悩む日々

投稿日:2018-05-26 更新日:

長嶋 一茂(ながしま かずしげ)さんは元野球選手です。

現在はタレント活動を中心に親しまれています。

父はどんな人からも愛された元野球選手で監督の長嶋 茂雄(ながしま しげお)さんです。

レジェンドと言われる父を持ったことから、幼少時代からマスコミに追われる生活をしてきました。

 

父でもあり、野球監督でもある長嶋茂雄さんの背中を追い続けながら、2世お坊ちゃまと言われる悩みやコンプレックスなどから、慢性的なストレスにさらされ続け、パニック障害を引き起こして悩んでいたことなども語られました。

子供時代の長嶋一茂とは?

生まれた時から父・長嶋茂雄さんの長男として注目された人物が長嶋一茂さんです。

父への贈り物は高級品が多かったことのエピソードは、お坊ちゃまというキャラクターが板についていることがわかっちゃいますが、どうしても憎めないのは父譲りなのかも知れません。

エピソード お坊ちゃま編①

小学校時代調理実習でトマトを持って行った時、長嶋一茂さんは桐箱に入ったトマトを持って行って先生と生徒を驚かせました。

長嶋家では、父への贈り物が連日のようにあり、それらは高級品だったそうです。

トマトは桐箱の中に入っているトマトしか見たことがないことをあきらかにしています。

エピソード 野球をはじめたきっかけ

父の影響から、小学校から野球を始めました。

マスコミや父に取り入れようとする大人に囲まれることから、友人と純粋に野球を楽しむことができなくなり、1年ほどで辞めてしまいました。

将来の夢は?

野球は嫌いではなかったし、将来はプロ野球選手になることを決めていたそうです。

野球を再開したきっかけは?

中学校時代は陸上部に所属していました。

中学校2年生の時、父・茂雄さんが野球監督を務めていた巨人の成績が伸びず、解任となったことにありました。

一茂さんは怒りに燃えて一念発起して野球を再開しました。

父の仇(かたき)をとってやる!と思ったとあかしています。

プロ野球選手になって巨人に入団して、人気のあるトップアスリートとなったところで、惜しまれて退団することを目標にしました。

高校進学を父・茂雄さんの母校の立教高校に進学した理由

長嶋一茂さんの子供の頃の夢はプロ野球選手になることです。

本格的に野球を再開しようと決意した時に、父と同じ立教で野球をやりたい!という思いから、

父・茂雄さんが学んだ立教高校に進学して野球に打ち込みました。

中学校時代の3年間は野球をしていなかったので、最初はキャッチボールもできなかったそうです。

部員からは父・長嶋茂雄の長男として贔屓されているという声が、直接耳に届いたことを話しています。

しかし、子供の頃に夢見たプロ野球選手になるという決意は揺るがないもので、気にしないようにしていたそうです。

子供の頃から、マスコミに慣れていた一茂さんは、心ない言葉に慣れていたのでしょうか?

気にしないように野球に打ち込んだようですね。

金持ち喧嘩せずという言葉を思い出しました。

毎日、深夜まで素振りをやり、キャプテンを務めて部員を率いるまでに成長しました。

エピソード おこずかい

高校と大学は寮生活でした。

寮の食事では足りないので、学校の帰り道は野球部員たちと焼き肉を食べたそうです。

みんなの分をおごってあげるので、毎日のおこずかいがすぐになくちゃいます。

そこで母は通帳にいつも100万円を振り込んで困らないようにしてもらっていました。

兄弟全員の通帳には、いつも100万円あったそうですよ。

エピソード 車はキャッシュで

自動車免許を取得して、新車で颯爽とマスコミの前に現れた時、

取材陣から「何回払いで購入したのですが?」という問いかけに、

一茂さんは「何それ?キャッシュだよ」と答えていました。

きっと取材した人達は、自分の働いたお金を貯金して、欲しいものを購入しているのかも知れません。

もしかしたら、地方に住む家族に仕送りをしているかも知れません。

学生さんがキャッシュでポン!と欲しいものを購入できることは、両親の経済力のおかげだと思います。

この時の報道は子供だった私の心に残ってしまいました。

大学時代は?

立教大学へ進学すると、1年目からレギュラーを務めました。

順調な滑り出しで、硬式野球部では東京六台リーグ戦、通算101試合に出場するなど好成績を収めています。

夢を叶えてプロ野球選手に

プロ野球に入団する時のエピソード

1987年のドラフト会議で、ヤクルトと大洋の2球団から1位指名されました。

抽選の結果、ヤクルトが交渉権を得て、契約金8千万円で入団しました。

背番号は30番

契約書は全く目を通さないままサインしているそうです。

ちなみに契約金8千万円の行方は?

母に全部、渡したそうです。

もう一つのエピソード

実はこの時、もう1球団から指名があったことをあきらかにしています。

それは広島カープです。

父・茂雄さんは広島カープを推したそうです。

しかし一茂さんは映画やテレビドラマ番組で「仁義なき戦い」を見て、治安が心配という理由で行かなかったことを語っています。

ドラマや映画のお話しでも、子供には刺激が強かったのかも知れませんね。

父は巨人で、長男の一茂さんは広島カープに入団していたら、面白い対戦が見られたかも知れません。

ヤクルト時代は?

1998年、春季キャンプから一軍メンバーに選抜されています。

オープン戦で3割以上の打率を残しました。

大学時代は好調だった野球が、プロの中ではレベルの高さを痛感したことを述べています。

監督は野村克也さんが1990年に就任。

野村監督の方針にはそりが合わないと伝えれています。

6年の間をヤクルトで過ごし、成績が伸び悩んでいました。

夢を叶えて読売ジャイアンツへ入団

読売ジャイアンツ時代は?

1993年、父・長嶋茂雄が読売ジャイアンツの監督に再度就任。

長男・一茂さんをトレードしました。

背番号は父の30番と自身の3番を合わせて「33番」

いつの間にか、読売ジャイアンツに持っていた父への仇をとってやる!という思いはなくなっていました。

父と子で同じ球団で活躍できることに注目されています。

しかし、父と子として会話することがなかったそうです。

いつも監督と選手という立場であったことをあかしていました。

なんだか寂しくも、思ってしまいました。

故障とパニック障害と

けがや病気は?

1995年、学生時代に痛めた右ひじの故障から一軍と二軍を行き来するようになります。

長嶋家の別荘で療養しながら、テレビの中継で父の活躍を見ていました。

実はこの時は右ひじだけでなく、精神的にも追い込まれていたことから、後にパニック障害も合わせていたことをあきらかにしています。

パニック障害と向き合い方

毎朝、瞑想をしていることを明かしました。

一度、心を無にすることで、すべてのことをリセットするのだとか。

すると、新しい自分に毎朝、生まれ変わることができるそうです。

引退を決意した時

この後、父・茂雄さんから戦力外通告を受けて現役を引退しました。

父から戦力外通告を言わせてしまったことの心の痛みと、父から通告されたことが良かった気持ちも一方であることを語っています。

野球に未練はありませんでした。

子供の頃から父の名声の中に過ごし、父の背中を追い求めて進んできた一茂さんです。

私はなんて親孝行なんだろうと思いました。

長嶋一茂さんは野球でいいことはなかったと話しています。

それは真実のように思いました。

引退後に、華やかな生活でも僕の人生は低空飛行と自虐していたからです。

思ったことをはっきり話してしまう一茂さんですが、不思議と嫌みがなく親しまれる人物です。

時には、両親の思ったようには行かないこともありますが、尊敬や憧れがなければ親と同じ職業に就こうとは思わないですよね。

人の言葉に流されず、己を信じた姿が素敵です。

それでも、知らず知らずのうちにストレスとなって、パニック障害という病気になり、今も向き合っていることをあきらかにしました。

長嶋一茂さんが自身の症状をあかしたことから、勇気をもらった人たちがたくさんいると思います。

引退後は?

個人事務所ナガシマ企画を設立。

スポーツキャスターと並行して俳優の仕事もしていましたが、トークが面白いことや誰からも愛されて親しまれるキャラクターからバラエティー番組に求められるようになりました。

現在はタレント活動を中心に活躍しています。

父・長嶋一茂さんの魅力とは?

近年、スポーツ界で起きている様々なスキャンダルのコメンテーターとしても、求められることが多くなっています。

長嶋一茂さんの言葉には人を傷つける要素がなく、本音と真実とわかりやすく話すところが信頼され、親しまれているようです。

長嶋一茂さんはセレブでありながらも、一般人の感覚を持ち合わせているようで思います。

私達が「これはおかしい」と思うことを、「そうだよね、おかしいよね」と、理路整然と話し、説得力があることも好感が持てるのかも知れません。

他の誰にもない長嶋一茂さんの魅力のひとつです。

家庭的なパパへ

結婚は?

自身のマネージャーを務めていた仁子(ひとこ)さんと結婚。

1999年9月に発表がありました。

年齢は、長嶋一茂さんと同じ年です。

交際期間は?

約3年間

プロポーズは?

33歳の時。

長嶋一茂さんは、子供の頃から1999年7月から8月にかけてノストラダムスの大予言を信じていました。

空から大魔王が降ってきて人類が滅亡するという物語を信じていたそうです。

しかし、何も起きませんでした。

そのために、もっと長生きできるなら結婚しようと決めたそうです。

妻・仁子さんは、このお話しを聞いた時、ちょっぴり呆れたようですよ。

デートは?

レストランで待ち合わせをする時は、15分前に仁子さんが行き、

メニューを決めて、一茂さんが来る時間に合わせて料理を出してもらうそうです。

一茂さんのマネージャーという職業だったから、できたようにも思えちゃいます。

妻となってからは?

料理はいっぺんに出さないでというリクエストが、夫・一茂さんからあったそうです。

夫・一茂さんの目の前で料理をして、熱いものを温かいうちに食べられるように出しているようですね。

なかなか大変なことも、さらっとできちゃう妻・仁子さんは良妻賢母、妻の鏡です。

子供は?

双子の女児

プロフィール

名前:長嶋 一茂(ながしま かずしげ)

生年月日:1996年1月26日

出身地:東京都大田区

身長:181㎝

職業:元プロ野球選手です。

引退後はタレント活動を中心に活躍しています。

所属:ナガシマ企画

家族

  • 父:長嶋 茂雄(ながしま しげお) 職業は元野球選手で監督
  • 母:一般人
  • 長男:長嶋 一茂
  • 妹:長島 美奈(ながしま みか) 職業はキャスター
  • 弟:長島 正興(ながしま まさおき)職業は元レーシングドライバー

最後まで読んで下さってありがとうございました。

りおさより

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
りおさ

りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

-Men, Men-Sports

Copyright© , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.