Men Woman 歌舞伎

藤間紫の生い立ちと子孫に見る藤間流一門と歌舞伎の影響力

投稿日:2018-05-27 更新日:

藤間紫さんはすでに亡くなっている人物ですが、歌舞伎の世界を垣間見る時、この女性の名前が気になるので掲載していきます。

藤間勘十郎という名前は男性をイメージしますが、二代目から五代目までの全ては女性が襲名しています。

六代目・藤間勘十郎さんは男性です。

ここでは、藤間紫さんの生い立ちから、子孫の現在を掲載していきます。

藤間紫の生い立ち

藤間紫さんは旧姓・河野です。

元日本医科大学学長・河野勝斎の長女として生まれました。

12歳の時、六世・藤間勘十郎に入門。

芸事を習うには少し遅いスタートだったが、踊りの才能があり天才と言われました。

学生時代は弁護士を目指していたそうです。

しかし六代目・藤間勘十郎さんは紫さんの家柄や踊りの才能や容姿の美しさを離したくなかったようです。

10代の後半に藤間紫さんは、内弟子として生活していました。

師匠の六代目・藤間勘十郎と自然に男女の関係になったようです。

21歳の時、藤間勘十郎さんから「紫」の名を貰い名取となります。

名取名は藤間 紫(ふじま むらさき)

紫さんは、亡くなるまで本名ではなく、藤間紫として舞踊家や女優として活躍していきました。

六代目・藤間勘十郎さんと結婚

そして24歳年上の六代目・藤間勘十郎さんに見初められて結婚。

勘十郎さんは紫さんとの年齢の差があったので、紫さんの姉を妻にしようとも考えていたのだとか。

紫さんの父は、元日本医科大学学長・河野勝斎さんなので、どうしても河野家の誰かと結婚したかったそうです。

後に、勘十郎さんから姉の話しを聞いて驚いたそうです。

1945年、第二次世界大戦で東京は空襲で家が全焼したので、紫さんの実家に身を寄せました。

1945年12月6日、長女・高子(こうこ)さんを出産

戦争が終わって働きに出かけたのは、妻の紫さんだったそうです。

夫・勘十郎さんは舞踊のこと以外は何もできなかったの、若く美しい紫さんが女優や舞台に立って得たお金は、生活と藤間流再建のために使われたと言われています。

1951年6月10日、長男・文彦(ふみひこ)さんを出産

三代目・市川猿之助さんと再婚

第二次世界大戦が終わるとしだいに、歌舞伎興行も復興していきました。

六代目・藤間勘十郎さんのもとへ、舞踊の弟子たちが戻ってきました。

この頃の藤間一門は大勢の弟子で賑わったそうです。

 

その中には、後に話題を呼んだ三代目・市川猿之助さん(俳優・香川照之の父)がいました。

とにかく歌舞伎が好きで一生懸命学ぼうとする姿が良かったのだとか。

六代目・藤間勘十郎さんと紫さんは、市川猿之助さんを、かわいがっていたそうです。

1960年頃、16歳年下の市川猿之助さんと生活が始まりました。

後の三代目・市川猿之助さんは、紫さんに尊敬と憧れもっていたようです。

紫さんは美しく立ち居振る舞いが洗練されていて、踊りが上手く、師匠の妻でもありました。

猿之助さんは踊りを習いながら、歌舞伎役者としても修行を積み、そして、澤瀉屋の家風を受け継いで、慶応大学に進学しています。

今では歌舞伎役者が大学進学することは、珍しくありませんが、当時は大学を出た者が役者を目指すことはほとんどありませんでした。

1963年(昭和38年)5月、祖父・から猿之助の名を襲名

同年6月、祖父(75歳)没

同年11月、父、三代目・市川段四郎(享年55歳)没。

三代目・市川猿之助さんは、猿之助の名を襲名したものの、同時に後ろ盾になっていた祖父と父を失ってしまいました。

弟で後に四代目・市川段四郎はこの時まだ23歳だったので、歌舞伎界で生き抜くためには、重鎮と言われる方々の門を叩いて、その門下に加えてもらうしか方法が見当たらなかったそうです。

三代目・市川猿之助さんに、温かい声をかけてくださる人がいたようですが、プライドの高さから、尊敬できない役者の下では働きたくないと断ってしまったことが、生意気ととられて孤立していったと伝えられています。

不器用な生き方に手を差し伸べたのが藤間紫さんでした。

猿之助さんは、役がつかないなら自分で公演するとして自主公演に乗り出します。

この時、六代目・藤間勘十郎さんは、振付師として協力していました。

六代目・藤間勘十郎さんと藤間紫さんが、かばって守らなければ、今の澤瀉屋(おもだかや)はまた違っていたのかもしれません。

孤独にあった三代目・市川猿之助さんは、女優の浜木綿子さんと結婚しますが、紫さんへの思いを断ち切れずに家を出て離婚したという説があります。

もう一つは、浜木綿子さんと某プロデューサーの関係を疑って家を出たという噂も。

1985年(昭和60年)夫・六代目・藤間勘十郎さんと離婚

1990年(平成2年)12月、六代目・藤間勘十郎(享年90歳)没

2000年(平成12年)三代目・市川猿之助さんと再婚

2009年(平成21)3月27日、藤間紫さん(享年85歳)肝不全のため没

その後の藤間家とプロフィール

プロフィール

名前 藤間 紫(ふじま むらさき)

本名 喜熨斗 綾子(きのし あやこ)(旧姓・河野)

生年月日 1923年(大正12年)5月24日

生年没日 2009年(平成21)3月27日(享年85歳)肝不全のため没

出身地 東京都

職業 日本舞踊家

初婚 六代目・藤間 勘十郎(ふじま かんじゅうろう)

生年月日 1900年(明治33年)

生年没日 1990年(平成2年)12月、六代目・藤間勘十郎(享年90歳)

第一子 長女・藤間 高子(こうこ)

三世・藤間 勘祖(かんそ)は、日本舞踊・藤間流前宗家

未婚であるが息子を授かりました。

第一子 藤間 康詞(みちのり)は、八世・藤間勘十郎を襲名

康詞(みちのり)の父は、能楽師・五十六世・梅若六郎

第二子 長男・藤間 文彦(ふみひこ)

職業 元俳優であったが引退して、母の再婚相手・三代目・市川猿之助さんの事務所「株式会社おもだかや社長」となりました。

妻・島村 佳江(しまむら よしえ)

職業 元女優で主婦

第一子・長男の藤間 貴彦(たかひこ)は、ジャニーズ事務所のタレントで、現在所属しているかは不明です。

父が創設した「株式会社おもだかや社長」の後継人になっているかも知れません。(調査中)

第二子・長女の藤間 爽子(さわこ)は、14歳の時に藤間流紫派の家元を襲名

女優活動も併用しています。

再婚 三代目・市川猿之助

生年月日 1934年(昭和14年)12月9日

前妻・浜木綿子(女優)

三代目・市川猿之助と前妻・浜木綿子の間に一人息子で俳優の香川照之さんがいます。

市川猿之助さんと藤間紫さんの間に子供はいません。

藤間紫の功績

日本舞踊の藤間流紫派の家元。

1985年に藤間勘十郎さんとの離婚が成立。

この離婚をきっかけに、宗家藤間流を離れて、紫派藤間流を創設。

女優としても活躍しました。

女優初主演は1949年、舞台・新国劇「野口英世」でした。

野口英世とは千円札の人物としても知られています。

1980年、菊田一夫演劇賞 優秀賞受賞

1991年 菊田一夫演劇賞 大賞受賞

1994年 読売演劇大賞 最優秀女優賞受賞

1995年、市川猿之助さんが演出した舞台「西太后」に主演。

1959年 紺綬褒章

1983年 イタリアで文化功労章 受賞

1985年 イタリアで名誉市民 受賞

最後まで読んで下さってありがとうございました。

りおさ

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
りおさ

りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

-Men, Woman, 歌舞伎

Copyright© , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.