Woman

元SKE48矢方美紀が左乳房全摘の決意は小林麻央の乳がんによる

投稿日:2018-06-02 更新日:

SKE48のメンバーとして活躍したアイドルの矢方美紀さん(25歳)

乳がんの病から、左胸を全部摘出したことをあきらかにしました。

生きるための決断と言いますが、手術を終えてからもなお、抗がん剤治療を続けています。

乳がんが発覚したきっかけ

2017年12月に家でテレビを見ていた時のことです。

乳がん特集の番組を見て、自分もチェックした時に、「あれっ」思ったことから。

左の胸にポコッとしたしこりがあったのだとか。

それまで、病気とは無縁だったと言います。

健康診断にも行ったことがなかったそうです。

まさか自分がかかるとは。

でも、しこりをさわるたびに怖かったと言います。

小林麻央さんの闘病が病院へ行くきっかけに

2017年、歌舞伎役者の妻・麻央さん(小林麻央)が乳がんの治療が遅れたために、症状が重くなり他界したことが報道されました。

小林麻央さんは自身の病をSNSなどに掲載して、同じ病気で苦しんでいる人達を励ましています。

乳がんという病について、正しい知識を提供してくれました。

矢方美紀さんは、小林麻央さんの経験から病院へ行くことを決心したことを、あきらかにしています。

左乳房全摘への決断秘話

矢方美紀さんさんは、2017年の末に、病院に行って精密検査を受けました。

その時は、結果は50パーセント(半分半分)

2018年1月に、さらに詳しく調べると、乳がんということがわかったそうです。

診断の結果を一人で聞きに行ったことをあかしています。

看護師さんから「おひとりですか?」と聞かれたとき、

「もしかしたら」という予感があったそうです。

宣告されると、受け入れることができずに、電車に乗って帰りました。

電車の中では涙が溢れて止まらなくなったそうです。

早期に発見したので、自覚症状がなかったと言います。

受け入れられずに、別の病院でも検査を受けたそうです。

すると・・・

リンパ節に転移している可能性があることを告げられました。

治癒するためには

  • 乳房切除
  • 抗がん剤治療

そういう言葉は聞きたくなかったと語っています。

矢方美紀さんの場合

早期発見なので手術なしで治療する方法もあったそうです。

全部左乳房を摘出することを決断した理由とは?

年齢が若い(25歳)

再発率が高い

将来、もっと生きれる時に、再発してしまったら?

全部摘出を決断したのは?

乳房を取っても、再建できることを知ったこと
今後の人生を考えた時
悪い部分を取り除いてから、再建したほうが納得できるから。

 

乳房再建とは?

いろいろな治療方針があるようです。

矢方美紀さんが選んだ方針は

まず全摘手術だけを行い、その後、乳房を再建するようです。

今後、いろいろなことが起きた時に、もっと生きられる時に、生きられなかったらと考えると、命の可能性を優先に考えて、全部取った方がいいという決断に至ったそうです。

頭の中ではわかっていても、未婚の25歳の女性の決断は大きいものです。

手術はいつ?

2018年4月2日

約4時間の手術になったそうです。

手術が終わった時は、胸がないことに違和感があったと語っています。

思った以上に傷が大きかったことがショックだったと言います。

手術した後は、リンパ節切除をしたために、手があがらないし、痛みもあったそうです。

病室での気づきは?

入院している他の患者さんたちの姿に、生きる勇気をもらい、前向きになれたようです。

病室から見える外の草花や、何気ない話し声から普通って素敵な事だと改めて感じたと語っています。

苦しいと思ったこととは?

病を宣告されてから手術まで、約3か月間。

手術を前に病院に通院しながら、SKE48の活動をしたことと語っています。

孤独だったと言います。

家に帰ってから1人になると、落ち込んで泣いてしまったと述べています。

2012年、大分県から家族が転居して同居しているので、母が支えになっていたようです。

SKE48宮澤佐江さんとの友情秘話

病のことはSKE48メンバーには知らされませんでした。

一番、慕っていた宮澤佐江さんに一番聞いて欲しかったけれど、

心配かけたくないという気持ちから、言えなかったそうです。

矢方美紀さんは2009年、SKE48第三期メンバーの一員。

最初は研究生からのスタートでした。

2010年、正規メンバーになってからも、厳しい下積み生活を積んできたようです。

アルバイトをしてはいけないルールから、経済的にも切り詰めた生活をしたようです。

寮生活では、自分の気持ちよりも先輩を優先させるような、礼儀をわきまえた生活を送っていました。

ダンスレッスンや振り付けの練習では間違えたり、上手くできなかったりしても、ひたすらレッスンに励んだそうです。

2011年、ロングヘアからショートカットヘアへ

2012年、初めて選抜入りを果たしました。

大分県から転居した家族と同居

AKB48 27thシングル選抜総選挙では62位

2013年SKE48のチーム再編によってチームSへの移籍。

2014年、AKB48 38thシングル選抜総選挙では73位

2015年、チームSの副リーダー・佐藤実絵子さんから時期チームSの副リーダーに指名されました。

2016年、リーダー・宮澤佐江さん卒業の公演でチームSのリーダーに抜擢。

2017年、リーダー・矢方美紀さん卒業

2018年、乳がんの治療と芸能活動を開始

そんな矢方美紀さんを、リーダーとして見ていたのが宮澤佐江さんでした。

落ち込んだり、後ろ向きになる心を自分で必死に立て直して頑張っている姿を、褒めてくれたことが嬉しかったとあかしています。

一番の理解者でもあり、相談相手の宮澤佐江さんと語っています。

SKE48リーダー・宮澤佐江さんが卒業する時に、次のリーダーに指名したことから、矢方美紀さんという名前が全国的に知られました。

左乳房を摘出した後、抗がん剤治療へ進む前に、SKE48の元リーダー・宮澤佐江さんと再会すると、心配させないように気丈に明るく振舞う矢方美紀さんの姿がありました。

失った左乳房を、恐る恐る触る宮澤佐江さんの目にも涙をこらえて気遣う姿が印象的でした。

矢方美紀さんは、一番会いたかった宮澤佐江さんに会えて、病気を伝えて抗がん剤治療に入ります。

これからは互いに気を遣わず、気持ちを通い合わせることができることでしょう。

家族との絆

乳がんの病を知っていたのは?

  • 家族
  • 親友
  • ごく一部の仕事関係者のみ

母が一番の支えとなってくれたことがありがたいと感じたことをあかしていました。

普段と変わらない気配りが嬉しいとか。

少し変わったのは、病院の帰り道に、おいしい食事に連れ出してくれるそうです。

こぼれ話

母が以前、保険会社に勤めていたことから、娘の美紀さんをがん保険に入れていたのだとか。

今後の治療でも、高額な抗がん剤治療などを受けることができるのは、母のおかげとも話しているそうです。

  • 1ヶ月の治療代

50万から60万にもなるとか。

芸能活動をいったん休止して治療に入り、また再開することを考えているようです。

  • 25歳の女性として

結婚できるかな。

出産できるかな。

胸がなくなっちゃったけど、恋ができるのかな。

と、女性ならではの幸せを追い求める姿を感じます。

矢方美紀さんの性格は?

人見知りで最初はメンバーとも話ができなかったとあかしています。

そんな女性がSKE48で自分を表現して、周囲の人々を明るい方へ導く存在になっています。

弱い人の気持ちを察することができる素敵な矢方美紀さんの

これからの活動は、乳がんと闘う女性の希望になるような存在になりそうです。

プロフィール

名前 矢方 美紀(やかた みき)

愛称 みきてぃ

生年月日 1992年6月29日

出身地 大分県

身長 153㎝

職業 元SKE48メンバー

チームリーダーを務めていました。

活動期間 2009年から2017年

特技 ものまね

所属 TYKPromotion

最後まで読んで下さってありがとうございました。

りおさより

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
りおさ

りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

-Woman

Copyright© , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.