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三浦知良が伝説の男の由来!キングカズの生い立ちと家族とは

投稿日:2018-06-22 更新日:

三浦知良さんは日本人初のセリエA出場した選手です。

現在のサッカー選手が世界で活躍する先がけとなったひとりです。

伝説の男と言われる由来や

キングカズと呼ばれる理由など

三浦知良さんを知らない若い人のために

生い立ちや家族なども掲載していきます。

三浦知良の生い立ちと家族

三浦知良さんは子供の頃からサッカーに親しむ環境の中で育ちました。

当時、人気のスポーツは野球

海外ではプロサッカーという職業がありましたが、

日本ではプロサッカー選手はいませんでした。

サッカーを親しむ子供達は海外のプロサッカーに憧れ、

日本でもプロサッカー選手として活躍したい願いました。

三浦知良さんが伝説の男になるきっかけとは

三浦知良さんが高校を中退して海外に飛び出すことは異例のこと。

将来、ごはんが食べていける職業なのか不安もあったと思います。

そのような時代背景の中で、

一度きりしかない人生を、

サッカーにかけました。

三浦知良さんの家族について

父:納屋 宣雄

母:由子(よしこ)(旧姓 三浦)

翔が公4年生の時に両親が離婚

その後、三浦と名字がかわりました。

長男:三浦 泰年(やすとし)

元サッカー選手

現在は指導者となっています。

二男:三浦 知良(かずよし)

名付け親

父方の祖父につけてもらったそうです。

叔父:三浦 哲治(てつじ)(母の弟)

静岡産業大学サッカー部の初代監督

Jリーグジュビロ磐田など、地域との強いパイプを持つ実力者

父方の伯父:納屋 義郎

三浦知良は、小学4年生の時、城内FCに入ってサッカーをしていました。

当時の城内FCの監督として伯父・納屋義郎が務めていました。

三浦知良が伝説の男と言われる理由

1982年、私立静岡学園高校に進学

8ヶ月で中退した理由は、

サッカーでブラジルへ単身で渡航

CAジュベントスに所属(ブラジル サンパウロ州)しました。

強い精神力

三浦知良さんの身長は177㎝です。

サッカー選手としては、低い方かもしれません

当時は、一流というほどの実力ではありませんでした。

まだ16歳の三浦知良さんは、

見知らぬ土地で、慣れない文化と、わからない言葉に

海外で活躍するには精神的にもきつかったと思います。

一度は、日本に帰国することも考えたようです

当時の日本はプロと呼べるサッカーはありませんでした。

それでもブラジルに留まってサッカーの下積みを続けました。

三浦知良がキングカズと呼ばれるまで

ブラジルで日本に帰国しようかと悩んだある日

ふと立ち寄った公園で

現地(リオ)の貧しい少年達がサッカーをしていました。

その少年の中には裸足の子供や

片足しかない子供もいたとか。

ボールも古く汚れているものを使っていました。

みんな楽しそうに遊んでいる様子を見て、

「自分には両足がある

スパイクも、いいボールもある。

自分は贅沢なことを言っているんだ」

そこで帰国を思いとどまったそうです。

その後、

キンゼ・デ・ジャウーの一員として静岡に凱旋しました。

その時、対戦した相手が

武田修宏選手や中山雅史選手です。

その後の活躍

1986年に、ブラジルでの実力が認められ

名門チーム、サントスFCとプロ契約を結びました。

その後、2つのチームを経て、

1988年、ブラジルでもっともレベルの高いといわれる

サンパウロ州リーグのキンゼ・デ・ジャウーと契約

同年、国内最高レベルのリーグ戦

「コッパウニオン」(ブラジル選手権)」で活躍

リーグを代表する左ウイングとして

三浦知良が認知されるようになりました。

その後コリチーガFC,やサントスFCを経て

1990年帰国

日本サッカーリーグの読売サッカークラブに移籍

日本に帰国しても、ブラジルの永住権を今でも更新しています。

そのために2年に1度はブラジルへ渡航しているそうです。

1993年にJリーグが開幕

所属のヴェルディ川崎(現在・東京ヴェルディ1969)で

Jリーグ初代MVPを獲得しました。

以降、Jリーグ、日本代表のエースとして活躍しました。

ジェノア

1994年にイタリアのジェノアからオファーを受け、

日本人として初めて、セリエAの出場を果たしました。

ジェノア在籍中に、ジェノバ(イタリア)の名前を

日本に広めたことで市から特別表彰を受けました。

ヴェルディ川崎へ復帰

1996年、再び所属したヴェルディ川崎で得点王に輝きました。

この頃から、ジェノア時代のケガの影響や

選手として若手が育ってきたことなどから

試合出場の回数が減ってきました。

クロアチア・ザグレブへ移籍

その後、

京都パープルサンガを経て、

2004年ヴェッセル神戸に所属

シーズン途中の2005年、横浜FCに移籍

2006年から横浜FCの選手兼任の監督補佐に就任

Jリーグの規定では

選手が監督やコーチを兼任することが出来ないので

選手扱いとなりました。

2011年12月、横浜FCに所属しながら

エスポラーダ北海道にJリーグ選手枠として登録

2012年 FIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出

50歳でもJリーガー選手

2017年 背番号11にちなんんで1月11日11時11分

横浜FCにクラブ公式サイトで契約を延長したことを発表

50歳で初の50代Jリーガーとなりました。

後に、リーグ戦でゴールを決めた

最年長のプロサッカー選手として

ギネス世界記録に登録されました。

三浦知良選手はいつまでも現役で活躍して欲しいですね。

カッコよすぎます!

三浦知良のプロフィール

名前:三浦 知良(みうら かずよし)

愛称

  • カズ
  • キングカズ

生年月日:1967年2月26日

出身地:静岡県

身長:177㎝

職業:プロサッカー

(現在、サッカーに関わっています)

ポジション:FW

利き足:右

FIFAワールドカップ日本代表の初出場に貢献しています。

既婚者:妻 三浦りさこ

(職業:モデル)

学歴

1979年ー1982年 静岡県私立城内中学校

1982年 静岡学園高等学校中退

(サントスと契約したため)

経歴

1986年・サントスFC(ブラジル サンパウロ州)

1986年・SEパルメイラス(ブラジル サンパウロ州)

1986年・SEマツバラ(ブラジル パラナ州カンバラ)

1987年・CRB(ブラジル アラゴアス州マセイオ)

(クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル)

1987年ー1988年・ECキンゼ・デ・ジャウー(ブラジル サンパウロ州)

1989年・コリチーバ(ブラジル パラナ州)

1990年・サントス

1990年ー1998年・読売クラブ・ヴェルディ川崎(東京ヴェルディ1969)

1994年ー1995年・ジェノア(イタリア)

1999年・NKディナモ・ザグレブ(クロアチア共和国)

1999年ー2000年・京都パープルサンガ(FC(日本・京都府)

2001年ー2005年・ヴィッセル神戸(日本・兵庫県)

2005年 横浜FC(日本・神奈川県)

2005年・シドニーFC(オーストラリア)

2012年・エスポラーダ北海道(日本・北海道)

2012年・フットサル日本代表

ワールドカップに出場

最後まで読んで下さいましてありがとうございました。

りおさより

 

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りおさ

りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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