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桂歌丸が落語にかけた生涯と笑点を引退する時の涙と家族との最期

投稿日:2018-07-08 更新日:

桂歌丸さんは人々から親しまれた人気落語家です。

番組・笑点のレギュラーを経て5代目の司会を務めました。

晩年の歌丸さんは生涯現役として酸素マスクをして高座にあがられています。

私生活では長年苦楽を共にした妻や家族を大切にされました。

そんな桂歌丸さんの生涯を掲載していきます。

桂歌丸さんの生い立ち

歌丸さんのご出身は神奈川県にあります。

歌丸さんが生まれた頃の日本は戦中戦後の混乱にありました。

歌丸さんの祖母(タネさん)について

祖母・タネさんは16歳から横須賀市の柏木田遊郭「若葉屋」で働き

大正時代には吉原遊郭で「東屋」を経営し

関東大震災後から横浜の真金町で「富士楼」を経営していました。

祖母・タネさんは祖父・貞次郎さんと結婚して2人の間には

子供(貞雄さん・後に歌丸さんの父)を授かります。

「後に貞雄さんが妻を迎えると歌丸さんを授かります」

歌丸さんの祖父(貞次郎さん)について

茨城県のつくばみらい市に住んでいました。

今でもご子孫が茨城県にお住まいです。

かつては煎餅を土産物として販売していました。

貞次郎さんは上京してタネさんと結婚します。

(貞次郎さんは1933年・昭和8年に逝去)

歌丸さんの幼少時代

歌丸さんが生まれた頃は日本は戦争中でした。

歌丸さんの母はタネさんと折り合いが合わず家を出ます。

歌丸さんは祖母・タネさんに厳しく育てられました。

1939年(昭和14年)に歌丸さんの父・貞雄さんが逝去)

1945年(昭和20年・終戦)に横浜に大空襲があり真金町は焼け野原になってしまいました。

祖母・タネさんはすぐに遊郭の経営を再開したようです。

歌丸さんは焼け野原になった真金町を見つめてるだけでした

しかし祖母・タネさんは小さな小屋を建てて「富士楼」を営業させました。

近隣の遊郭には真金町の三婆と称されいたそうです。

  1. 富士楼
  2. イロハ
  3. ローマ

昭和33年に売春禁止法により遊郭は閉鎖となります。

歌丸さんの母について

母の実家は千葉県市原市にあり裕福な農家を家業にしています。

現在もご子孫がお住まいになっています。

歌丸さんに女性的な優しさを感じるのはこの幼少時代の環境にあることを落語家・林家木久扇さんらが語りました。

歌丸さんの落語について

学生時代の歌丸さん

少年時代の歌丸さんはラジオで落語の魅力にとりつかれました。

中学2年生の時、遊郭内の診療所で開かれた娼妓達の慰労会で当時、二つ目だった5代目春風亭柳昇さんの落語を見て落語家になることを決意して祖母・タネさんに落語家になることを伝えます。

横浜市立横浜商業高校の定時制を中退

歌丸さんは師匠・古今亭今輔さんに弟子に入りました。

古今亭今輔さんとの出会い

当時の歌丸さんは中学3年生(1951年・昭和26年)の時に遠縁の親戚を通じて(NHKの出版部に勤めていた人から)5代目古今亭今輔さんは一番面倒見のいい人だと薦められたそうです。

(昭和28年に歌丸さんの祖母・タネさんが逝去)

歌丸さんは笑点の初期メンバーとして活躍されていました。

兄弟子で後の師匠・米丸の初名「古今亭今児」を継ぎます

その後、4代目桂米丸門下へ移籍

その後、一時期落語協会から離れた理由

師匠・今輔さんが新作派なのに対し

歌丸さんは古典落語ばかり演じていたことから破門状態に

歌丸さんがサラリーマンへ

ポーラ化粧品のセースルマンに転職

笑点の初代の司会者・立川談志さんから戻ってこないかと誘いがあったそうです。

もともと歌丸さんとは相性が合わないかったことと1回抜けているので

歌丸さんは「戻るなら談志がいるならやらない」と言ったとか。

立川談志さんと桂歌丸さんはお互いを認め合う存在でした。

そして談志さんは歌丸さんを一目置いていたそうです。

1961年(昭和36年)に落語界に戻っています

今輔が付けた条件により兄弟子・米丸門下となり

1964年(昭和39年)年に古今亭今児から桂米坊に改名

同年桂歌丸に再び改名。

桂歌丸さんの落語について

歌丸さんは生涯を現役にこだわりました。

晩年は酸素マスクをしながら高座にあがりました。

歌丸さんは

「人を怒らせることと泣かせることはかんたん」

「笑わせることは難しい」

などと笑いを生涯に渡って追求されてきました。

2018年8月は毎年、10日間に新作をやるそうです。

それは後輩のために道をつくってくれるためのものと言われています。

(2018年7月2日、歌丸さんは逝去されました。)

笑点の司会について

笑点の司会の任期期間

2006年(平成18年)ー2016年(平成28年)

2016年5月22日:終身名誉司会者となりました。

桂歌丸さんは2006年(平成18年)から

笑点の司会者に就任。

桂歌丸さんは5代目三遊亭圓楽(さんゆうていえんらく)さんが

亡くなった後を引き継いで司会者となりました。

歌丸さんの笑点とは

  • 変わらないこと
  • 自然に変わっていくこと
  • 変えようとすると失敗する
  • 和気あいあいとすること
  • もしも1人だけ目立つのかいたら皆でサポートすること

この教えから歌丸さんは笑点の皆から愛されました。

笑点の司会を引退する理由は

病気療養のためでした。

笑点の司会を引退する時は泣いていました。

その涙は自身が笑点の場所からいなくなることがさみしいということを意味する涙だったとされています。

司会を6代目春風亭昇太さんに受け継がれるときは

「好きなようにやれ」

「こっちも好きなようにやる」

こうして笑点の大御所レギュラーさんに愛されています。

桂歌丸さんの家族について

歌丸さんの妻は4歳年上の姉さん女房です。

歌丸さんが落語家で駆け出しだった頃妻の冨士子さんが家計を支えていました。

歌丸さんが稼げるようになっても妻には頭が上がらないと少し嬉しそうにお話しされています。

歌丸さんは2018年7月、病で逝去されました(81歳)

現在、妻の冨士子さんは85歳です。

2人の馴れ初めは

もともと家が近所で顔見知りだった冨士子さんと結婚しました。

当時の歌丸さんには

その頃の師匠は5代目今輔さんに進められた女性がいました。

その方を断って冨士子さんとご結婚されています。

妻・冨士子さんとは

歌麿さんとご近所さんで生まれ育ったようです。

冨士子さんは表に顔を出すことはほとんどなかったので謎のヴェールに包まれた女性とされています。

妻が公の席へ出席されたのは

1989年(平成元年)

歌丸さんが座布団10枚の賞品となった「クィーンエルザベルⅡの夕べ」に後ろ姿の冨士子夫人が登場して謎の女性とされました。

2007年(平成19年)

旭日章の授賞式と金婚式を祝う会には2人揃って出席されました。

歌丸さんの子供は

お2人にはお嬢さんが一人いらっしゃいます。

一般人の方として生活されているようです。

桂歌丸さんのプロフィール

名前:桂歌丸(かつら うたまる)

本名:椎名巌(しいな いわお)

生年月日:1936年(昭和11年)8月14日(81歳)

出身地:神奈川県横浜市

血液型:A型

学歴

横浜市立吉田中学校卒業

横浜市立横浜商業高校の定時制を中退

師匠

  • 5代目古今亭今輔(ここんてい いますけ)
  • 4代目桂米丸

名称

  • 1951年ー1961「古今亭今児」
  • 1061年―1964年「桂米坊」
  • 1064年ー2018年「桂歌丸」

活動期間:1951年-2018年

2018年7月2日・逝去

病名:慢性閉塞性肺疾患

職業:落語家

妻:椎名冨士子さん

所属:落語芸術協会

業務提携:オフィスまめかな

歌丸さんのお弟子さん達

  • 桂歌春
  • 桂歌助
  • 桂歌若
  • 桂歌蔵
  • 三代目・桂枝太郎

桂歌丸さんはお弟子さんから

歌丸師匠を「人間国宝にしたい」といわれるように

人々から愛される存在でした。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

りおさより

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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