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タモリの恩人・漫画家の赤塚不二夫へ読んだ弔辞と最高の居候とは

投稿日:2018-07-12 更新日:

タモリさんと赤塚不二夫さんの関係は不思議な関係だと思います。

タモリさんは自身のことを史上最高の居候といいます。

人はそんなふうに他人と繋がることは難しいからです。

ここではタモリさんと赤塚不二夫さんの出会いと関係を調べました。

その先にあったのはタモリさんが赤塚不二夫さんのために読んだ弔辞です。

読まれた弔辞は白紙だったとされていますがあまりにも素敵なので掲載します。

タモリさんが言う史上最高の居候とは

タモリさんはバカボンのパパのパパの漫画家・赤塚不二夫さんに見出させれました。

タモリさんは奥さんともども用意してもらったマンションに棲みついたそうです。

そのマンションは実は赤塚不二夫さんの私宅でした。

赤塚不二夫さんは寝る時は仕事場のロッカーを横に倒してその上にお布団を敷いて寝ていました。

赤塚不二夫さんはそのことをタモリさんが気兼ねすると思って言わなかったそうです。

タモリさんは後でそのことを知って、ますます赤塚不二夫先生への尊敬の念を深めっていったそうです。

だけど、タモリさんは面と向かって

「ありがとうございます」と言えませんでした。

お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったそうです。

タモリさんは雑誌の対談で自身のことを史上最高の居候と話していました。

赤塚不二夫さんが病になった時のタモリさんとの対談

タモリさんは赤塚不二夫さんのお葬式の時に弔辞を読んでいます。

この時の蝶時には予告編のようなものがあったそうです。

赤塚不二夫さんに食道がんが見つかった翌年に対談されていました。

「赤塚不二夫対談集・これでいいのだ。」

(メディアファクトリー文庫)

この対談では

タモリさん:(赤塚先生へ)

「酒とタバコはやめた方がいいんじゃないの」

赤塚不二夫さん

「これイイんですよ」

「これでいいのだ!」

「彼(タモリさん)と俺(赤塚先生)とはね、

あるとき出会ったってことだけで

それを自分で大事にしておけばいいだけなんだよ。

俺が面倒みたとか、みられたとかっていうことは一切関係ないんですよ。

だから、そっちはそっち(タモリさん)で勝手に生きてりゃいいし、

(赤塚先生は)こっちはこっちで勝手に死にゃあいいわけだよ。

だけど、(俺が)死んだときは来てくれよな」

タモリさん

「あんた(赤塚先生)のとこの葬式もメチャクチャだろうからなあ」

楽しませてもらうよ

この対談は赤塚不二夫さんが逝去する少し前の対談だったそうです。

男性が腹を割って話す時とは何とも言えない、どこにも力が入らないものなんですね。

タモリさんが赤塚不二夫さんへ読み上げた弔辞とは

2008年8月7日

漫画家・赤塚不二夫さんの告別式で読みあげた弔辞を振り返ってみましょう

弔辞。

8月の2日にあなたの訃報に接しました。

6年間の長きにわたる闘病死活の中で

ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。

我々の世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。

あなたの今までに無かった作品や

その特異なキャラクターは

私達世代に強烈に受け入れられました。

十代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して

九州から上京して

歌舞伎町の裏の小さなバーで

ライブみたいなことをやっていたときに

あなたは突然私の眼前に現れました。

そのときのことは今でもはっきり覚えています。

「赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている」

この、突然の出来事で

重大なことに私はあがることすらできませんでした。

終わって私のとこにやって来たあなたは

「君は面白い。

お笑いの世界に入れ。

8月の終わりの僕の番組があるから、それに出ろ。

それまでは住むとこがないから、

私のマンションにいろ」と、こう言いました。

自分の人生にも

他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を

この人はこの場でしたのです。

それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。

しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで

夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、

いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。

いろんなことを語ってくれました。

お笑いのこと

映画のこと

絵画のこと

他のこともいろいろと

あなたに学びました。

あなたが私に言ってくれたことは

いまだに私にとって金言として心の中に残っています。

そして、仕事に活かしております。

赤塚先生は、本当に優しい方です。

シャイな方です。

麻雀をするときも相手のふりこみで上がると

相手が機嫌を悪くするのをおそれて

ツモでしか上がりませんでした。

あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。

その裏には強烈な反骨精神もありました。

あなたはすべての人を快く受け入れました。

そのために騙されたことも数々あります。

金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。

しかしあなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

あなたは私の父のようであり

兄のようであり

そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は

遥か歳下の弟のようでもありました。

あなたは生活すべてがギャクでした。

たこちゃん(たこ八郎)の葬儀の時に

大きく笑いながらも

目からはボロボロと涙がこばれ落ち

出棺のとき

たこちゃんの額をピシャリとたたいては

「この野郎!逝きやがった」とまた高笑いしながら

大きな涙を流してました。

あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

あなたの考えはすべての出来事存在を

あるがままに前向きに肯定し受け入れることです。

それによって人間は

重苦しい意味の世界から解放され

軽やかになり

また時間は前後関係を絶ち放たれて

そのときその場が異様に明るく感じられます。

この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。

すなわち、「これでいいのだ」と。

今、二人ですごしたいろんな出来事が

場面が、思い浮かべ(ママ)されています。

軽井沢で過ごした何度かの正月

伊豆での正月

そして海外へのあの珍道中。

どれもが本当に「こんな楽しいことがあっていいのか」と思うばかりのすばらしい時間でした。

最後になったのが、京都五山の送り火です。

あのときのあなたの柔和な笑顔は

お互いの労をねぎらっているようで

一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅で

ちょっと高いところから

あぐらをかいて肘をつき

ニコニコと眺めていることでしょう。

そして私に、「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言っているに違いありません。

あなたにとって「死」もひとつのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。

それは肉親以上の関係であるあなたとの間に

お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。

しかし、今、お礼を言わさせていただきます。

赤塚先生、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

私も、あなたの数多くの作品のひとつです。

合掌。

平成二十年八月七日。

森田一義。

参考書物

「タモリ論」

著者:樋口毅宏(ひぐち たけひろ)さん

新潮新書から出版

森田一義(タモリ)さんのプロフィール

本名:森田一義(もりた かずよし)

ニックネーム:タモリ

生年月日:1945年8月22日(72歳)

出身地:福岡県

最終学歴:早稲田大学

師匠:赤塚不二夫

デビュー年:1975年

所属:田辺エージェンシー

赤塚不二夫さんを調べるとタモリさんとの関係がみえてきました。

以前から親しい間柄だとはテレビからわかっていましたが「タモリ論」を読み終えた時に素敵な関係だと思い掲載しようと思いました。

NHKのドラマ「バカボンのパパのパパ」でも2人の様子が出てきます。

ここではタモリさんが赤塚不二夫さんに読んだ弔辞が素敵すぎたので掲載します。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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