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タモリの大学時代から妻を東京に呼び寄せるまで珍芸が生まれた場所

投稿日:2018-07-12 更新日:

タモリさんの大学時代の様子から有名になるまでを掲載していきます。

タモリさんはいろいろな人との出会いから有名になっていきました。

漫画家の赤塚不二夫さんの自宅に居候していたころから妻・春子さんを東京に呼び寄せるまでの様子を掲載していきます。

タモリさんの早稲田大学時代

タモリさんは1960年後半頃、福岡から上京していました。

早稲田大学へ進学しています。

新宿からほど近い場所にある早稲田大学のモダンジャズ研究会で過ごしていたそうです。

タモリさんはトランペットを担当していました。

自分よりも上手な奏者を前にした時、マネージャー兼司会役に回ったそうです。

タモリさんが過ごした時代の新宿は小田急新宿がオープンした頃のようです。

1968年の国際反戦デーには新宿騒乱という事件が起きたとしにタモリさんは福岡に帰郷したといわれています。

その後、帰郷して妻の春子さんと出会い結婚されました。

タモリさんの妻のこと

タモリさんの妻は森田春子さんといいます。

タモリさんとのなれそめは

1970年(昭和45年)

春子さんが会社員をしていた時代に2歳年下のタモリさんと結婚しました。

ふだんは春子さんと2人で九州の福岡に住んでいました。

タモリさんは元々芸人ではなかったそうです。

ボーリング場の支配人や喫茶店のマスターなど様々な職業を転々としていました。

  • ホテルの従業員
  • 生命保険会社
  • パーキング・センター管理
  • 喫茶店(スナック店員)

初期の芸は密室芸と呼ばれていてボーリング場や喫茶店の内輪向けのかくし芸だったとか。

タモリさんが上京した当時は

タモリさんが単身で友達の家を転々としました。

赤塚不二夫さんのマンションに居候することになります。

しばらくすると春子さんと2人で数か月、居候したようです。

表に出ることはなくタモリさんを家庭で支えているのか否かも定かでありません。

タモリさんは「笑っていいとも!」に一度も遅刻したことがありませんでした。

きっと春子さんはしっかりした女性なんだと思います。

タモリさんの福岡から上京した経緯

タモリさんはそのころまだ地元の福岡を拠点にしていたので密室芸は九州でされていました。

妻の春子さんと2人で福岡に暮らしています

タモリさんを見出した人物とは

タモリさんの密室芸を最初に目撃したのが、山下洋輔グループ。

山下洋輔とはジャズ・ピアニストです。

福岡から上京したいきさつとは?

山下洋輔さんがホテルでドンチャン騒ぎをしてる中に、

タモリさんは勝手に紛れ込んで

珍芸を次々とやってみせたら気にってもらいました。

山下洋輔さんは東京に帰ってから面白い男がいると噂を広めたそうです。

仲間たちがカンパしてタモリさんを東京に呼び出したとか。

タモリさんが芸の研究をした場所は?

押し入れの中でやっていたといわれています。

タモリさんと「ジャックと豆の木」とは

1975年頃、タモリさんが東京に呼ばれて最初に芸を披露した店が「ジャックの豆の木」です。

所ジョージさんのスタート地点は「ひとみ寿司」「アイララ」

お店は新宿二丁目にありました。

でも赤塚不二夫さんは「ジャックの豆の木」にはあまり足を運ばなかったそうです。

仕事の相手の長谷邦夫さんが「ジャックの豆の木」の常連だったから。

仲が悪いのではなく仕事の相手とは私的な場所では会わないように遠慮されていたようです。

赤塚不二夫さんはタモリさんの印象を?

黙っている時は、さえない銀行員みたいな男のようだと言ったとか。

でも芸をはじめると観客のめちゃくちゃな注文を自分のひらめきでどんどんアレンジを変えてやったそうです。

タモリさんがなりたかった職業は?

もともとジャズマンのなりたかったので即興を重んじるジャス演奏の精神をもっていたとか。

タモリさんが上京してすぐの芸をみたのは赤塚不二夫さんとそのメンバーです。

その後タモリさんの芸を見るために著名人が遠くから来たそうです。

タモリさんは福岡から上京してすぐから目の肥えた玄人を相手に芸を次々に見せていきました

その目の肥えた観客の前でかくし芸を見せ、面白いを言わせるタモリさんは凄みがあったといわれています

山下洋輔さんによると初期のタモリさんはレパートリーはそれほど多くなかったそうです。

上京してから赤塚不二夫さんのマンションで居候している間に、徐々にネタを増やして芸に磨きをかけたとか。

タモリさんは赤塚不二夫さんのマンションを出てからも頻繁に一緒にいたそうです。

「ジャックの豆の木」が閉店した時のこと

記念に常連たちによるバスツアーが組まれました。

その車中ではタモリさんが延々とバスガイドを演じて密室芸の披露させたそうです。

タモリさんはその後、どんどん有名になり、密室芸を披露する機会が減っていきました。

タモリさんが居候した後

赤塚不二夫さんがタモリさんを好きすぎてシャイな話し

タモリさんがいくら面白くてもいつも一緒にいるわけにはいきません。

そもそも赤塚不二夫さんは好きな人と二人っきりになるというのが苦手だったそうです。

いつも、第三者がいないとソワソワ落ち着かないのだとか。

漫画の仕事も忙しかったので自宅から2キロほど離れたマンションにはあまり帰っていませんでした。

赤塚不二夫さんの4LDKの自宅はいつしかタモリさん専用の住まいになっていていたそうです。

タモリさんの妻の春子さんも福岡から出てきて泊まるようになっていたとか。

赤塚不二夫さんは事務所のロッカーを横に倒して布団を敷いて寝たり床の上にゴザを敷いて寝起きしていたそうです。

タモリさんと赤塚先生と黒柳徹子さん

赤塚不二夫さんの番組にタモリさんを出演させて芸を披露すると黒柳徹子さんから電話がかかってきて

「ネネ、あのオカシナ人、アレなに?」

「おももしろいわねー!」と早口で話されたそうです。

芸能事務所を田辺エージェンシーへ

タモリさんは、ラジオ「オールナイトニッポン」に出演されると

タモリさんはますます忙しくなりタレントをやめることができなくなったとか

同時に妻・春子さんとの東京での生活を守ることに専念したそうです。

タモリさんは番組「笑っていいとも!」には一度も遅刻をしたことがありませんでした。

その後、世田谷区に大きな豪邸を建てています。

妻・春子さんはタモリさんの代わりに福岡と東京を行き来しているようです。

表には出ることはありませんでしたがタモリさんを裏で支え続けています。

タモリさんは日本の新しいタイプのタレントとして

テレビやラジオや舞台などで活躍されるようになりました。

タモリさんの珍芸もたまにはみたいものです。

参考文献

「タモリ」芸能史上、永遠に謎の人物

出版・河出書房新社

タモリさんのプロフィール

本名:森田一義(もりた かずよし)

ニックネーム:タモリ

生年月日:1945年8月22日(72歳)

出身地:福岡県

結婚歴:あり

配偶者:森田春子(一般人)

最終学歴:早稲田大学

師匠:赤塚不二夫

デビュー年:1975年

所属:田辺エージェンシー

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

りおさより

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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