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稀勢の里の生い立ちと横綱引退後は相撲部屋の親方に?結婚はいつ?

投稿日:2018-07-13 更新日:

稀勢の里は日本出身の力士で日本人の横綱が登場したのは19年ぶりのこと。

日本中がわき立ちました。

しかしケガで休場が続いていることが心配です。

もしも稀勢の里が引退となったら?

相撲部屋の親方になるのかなとか

結婚したら楽しい家庭になりそうだとか。

そこで稀勢の里の生い立ちなどを調べてみました。

稀勢の里の生い立ち

家族は両親と1つ上のお姉さんがいます。

出生地は兵庫県芦屋市で生まれました。

名前の由来は

本名は萩原寛(ゆたか)さんです。

「寛と書いてゆたかと呼ぶのか?」

「ひろし」より「ゆたか」の方が感じが良いから。

生まれた時の体重は?

3600g

乳幼児の時から食欲がある子どもで他のお母さんからもお乳をもらっていたそうです。

大きくなるわけです。

茨城に引っ越したのはいつ?

寛君(稀勢の里)が2歳の頃に茨城県龍ヶ崎市に引っ越しました。

小学時代の稀勢の里

相撲を始めたのは小学2年生頃からでテレビを見て好きだったそうです。

自身でやってみたいと思ったとか。

まわしをつけて地元の相撲大会に出場すると

上級生を相手に5人をごぼう抜きに!

お父さんの話しによるとますます自信につながったそうです。

小学4年生頃からわんぱく相撲の茨木代表になって両国国技館の土俵にあがりました。

稀勢の里と野球

小学4年から野球も始めていました。

担当は捕手です。

食いしん坊の稀勢の里の食事は?

お母さんは子供に清涼飲料水やお菓子を与えなかったそうです。

そのかわり手料理で子供をそだてました。

中学時代の稀勢の里

稀勢の里は中学へ進学してからも野球を続けていました。

中学で担当したのは投手です。

能力が認められて強豪校から誘われたようです。

でも稀勢の里は「自分は大きいだけで野球はうまくない」と

断ってしまいました。

稀勢の里と柔道について

スポーツマンの稀勢の里をお父さんは見込んでいて

柔道をやらせたかったそうです。

でも稀勢の里が進学した中学には柔道部がありませんでした。

相撲へ進もうと思ったのはいつ?

中学2年生の時

鳴戸部屋を訪れた時に、親方から太鼓判を押されるほどでした。

親方は「これはいい力士になる!」と言ったそうです。

「ぜひ、うちに入門して欲しい」と説得されて入門を決めました。

中学卒業について

中学校は3年っ世の2月上旬までの登校になったそうです。

稀勢の里は同級生と一緒に卒業式に行けませんでした。

学校のみんなからサインをもとめられると?

「一人前でないからと断った」とか。

卒業文集には

「努力で天才に勝ちます」と記しているようです。

中学時代の稀勢の里の努力

寝る前に足の指の間にティッシュをつめて寝ていました。

そうすると外反母趾にならにのだとか。

鳴戸部屋に入った時、親方は稀勢の里の足を見て

「てんぐのような足」と称しています。

稀勢の里はずっと努力してきた力士だということがわかりました。

稀勢の里・相撲の道へ

鳴戸部屋に入ると力士・若の里の付き人になります。

若の里は毎日、稀勢の里に厳しい稽古をつけました。

親方から「もう練習しなくていい」と言われたそうです。

稀勢の里は強くなるまでは家に帰りませんでした。

電話もすぐに切ってしまうようなストイックな力士だったようです。

稀勢の里は2003年5月場所で7連勝しながら

三段目の優勝を逃してしまいました。

すごく悔しくて花道で涙を流した姿を力士・朝青龍に見られていました。

朝青龍から「お前は強くなる」と慰められたとか。

その後、幕土から三段に進み稀勢の里は27歳になっていました。

その頃、北の湖から助言を受けたそうです。

「まわしを締める位置が高い」

「へそが見えるほどの位置に下げて締めた方がよい」

この助言の後から稀勢の里はますます強くなっていきました。

大関に昇進

2011年11月30日、日本相撲協会の理事会で満場一致で昇進が決定。

稀勢の里は正式に大関に昇進しました。

伝達式の口上は

「大関の名を汚さぬよう精進します」

シンプルで素敵です。

2013年の九州場所で右の大胸筋を断裂して

テーピングを施しながら土俵に上がっていました。

けがに長く苦しみながら相撲を続けています。

稀勢の里の横綱とケガについて

始めて横綱に挑戦したのは2013年

そして2017年

横綱に昇進しました。

その後、ケガと向き合いながら相撲をしています。

稀勢の里は自身のケガについて

左胸と上腕の「筋肉損傷」と発表しました。

稀勢の里は責任感が強い力士で知られいます。

しかし名古屋場所を休場して8場所連続休場となってしまいまいた。

記録を抜いた力士とは「貴乃花」です。

現在、貴乃花親方となっています。

貴乃花親方は7場所休場としてそれまでワーストを持っていました。

稀勢の里が記録を抜いてしまった。

でも稀勢の里の気持ちを一番にくみ取れるのも貴乃花親方。

精神面でどこまで耐えられるのか心配しているようです。

医師は復帰は難しいと漏らしたとか。

引退も視野にあるそうです

どこで引退するのかを考えると

東京の両国国技館で迎えのではないかと囁かれています。

稀勢の里が小学時代に訪れた場所も両国国技館でした。

稀勢の里の結婚について

稀勢の里はご結婚されていません。

休場中に精神面を支えてくれるような女性が現れるといいですね。

稀勢の里クラスの力士は引退したら部屋の親方になるだろうと推測しています。

素敵な女将さんが側にいてくれたらと思います。

稀勢の里はストイックな力士で

責任感の人一倍強いそうです。

そして子供時代はスポーツマンの明るくて楽しい子供でした。

結婚したら楽しい家庭が作れそうですよね。

相撲部屋などもいい部屋になりそうです。

けがで稀勢の里の相撲が観られないのは残念ですが

これからの稀勢の里の生き方にも注目したいと思います。

稀勢の里のプロフィール

名前:稀勢の里 寛

本名:萩原 寛(はぎわら ゆたか)

愛称

  • ハギ
  • キセノン

生年月日:1986年7月3日(32歳)

出身:兵庫県芦屋市生まれの茨城県牛久市育ち

結婚歴:なし

身長:188㎝

体重:177kg

得意手

  • 左四つ
  • 寄り
  • 突き
  • 押し
  • 左おっつけ

第72代横綱

所属部屋

入門時は鳴戸部屋

その後、田子ノ浦部屋に部屋を移しました。

補足データ

初土俵:2002年3月場所

入幕:2004年11月場所

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

りおさより

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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