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釣りバカ日誌の漫画家・北見けんいちがあかす波乱万丈の人生

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北見けんいちさんは人気漫画家です

大ヒット作品を次々と出しています

釣りバカ日誌の作者・やまさき十三さんと最強のコンビで「釣りバカ日誌」はもうすぐ40周年をむかえます

北見けんいちさんの波乱万丈の人生をあかしました。

釣りバカ日誌について

釣りバカ日誌はもうすぐ連載40年になります

1979年にスタートしたので2019年で40周年記念です

2018年は単行本が100巻目を出版します

そういえば甲子園も100回記念でした

北見けんいちさんは強いチャンスの星の元に生まれたようです

釣りバカ日誌の連載のきっかけ

北見けんいちさんが草野球チームの助っ人に駆り出されたら相手チームが小学館だったそうです

試合が終わると小学館の編集の人から「ケンちゃん、うちで仕事してみない?」と声をかけられたことがきっかけとなりました。

釣りバカ日誌の原作は「やまさき十三」さんで漫画家の候補は4人。

もしも北見けんいちさんが草野球に駆り出されていなかったら他の漫画家さんがやっていたかもしれませんでした。

当時の接待は草野球?

草野球は大事なコミュニケーションの場になったいたので今でいう接待ゴルフのような場だったようです

北見けんいちさんは、やまさき十三さんと仕事をするのは初めてでしたが野球で対戦チームにいたりして顔見知りだったそうです

釣りバカ日誌がヒットした理由

昭和の時代は企業戦士とか会社一筋の社員がもてはやされていました

そこで釣りバカ日誌に登場する「おバカな浜崎伝助」のような人物が会社にいたら面白いかなと思ったそうです。

おバカな浜崎伝助が会社の社長の顔を知らずに仲良くなる設定のサラリーマンを漫画にしたら面白そうと思ったら人気が出たと語っています

釣りバカ日誌のライバルとは

連載が始まった頃はビックコミックオリジナルの人気漫画とは?

  • 三丁目の夕日
  • 浮浪雲(はぐれぐも)
  • あぶさん

釣りバカ日誌は5位くらいに入ればいいと思ってスタートしました。

映画・釣りバカ日誌について

映画化する話は連載が始まってからすぐにあったようです

嬉しかったのはお正月に公開予定の映画「男はつらいよ」と併映だったこと。

北見けんいちさんが映画に登場?

原作のやまさき十三さん

漫画家の北見けんいちさん

お2人は10作目の記念として出演したそうです

三國連太郎さん(役・スーさん)とレストランですれ違う2秒弱のシーンに登場しています

北見けんいちさんの健康方法

仕事をすること!

仕事を切られない限り続けると述べています。

嬉しいですよね

北見けんいちさんの漫画は面白いし大好きです

朝10時頃に起床して深夜2時に就寝するまで仕事をされていることをあかしました。

いつまでもお元気で漫画を期待しています

好きな場所とストレス解消

鹿児島県の与論島(よろんとう)でストレス解消!

北見けんいちさんは与論島で過ごす時間が一番の健康方法と語っています

与論島が好きになったのは趣味のカメラを持って写真を撮りに出かけたことがはじまり。

北見けんいちさんの釣りの腕前は?

自身ではやらないそうです

アウトドアが趣味なので海へ行ってカヌーに乗ってルアーを投げると魚が釣れるそうです

魚はハタの仲間のミーバイという種類で唐揚げにするとおいしいとか。

北見けんいちさんの病気

  • 糖尿病
  • 高血圧
  • 心不全

食事制限が必要とされていますが守っていないそうです

お腹がぷっくりとふくよかなので守っていないのは確定といってもよさそうです

2017年に心臓にペースメーカーを入れてから調子がいいとか

心臓が止まってもマッサージ機能が作動して蘇生復活させるので安心しているようです

仕事部屋に健康機器を入れて運動不足を解消していました

北見けんいちさんの波乱万丈の人生とは

北見けんいちさんの生い立ち

満州生まれで5歳の時、日本に引揚げてきました。

家族は両親と弟と4人家族。

お父さんは兵隊となったので引き上げはお母さんと弟と3人で引き上げ船に乗って日本に帰国した経験を持っています。

両親の出身は?

  • お父さんは築地に生まれ
  • お母さんは浅草に生まれた

生粋の江戸っ子です

国籍:日本

お父さんについて

お父さんは大変な経験をされていました。

終戦の5日前(昭和20年8月10日)に召集されてシベリアに5年間もの間抑留。

帰国すると日本印刷に勤めました。

お父さんとの思い出

印刷のテストに使った紙「ヤレ紙」を持って帰ってくるので自身の漫画を描く紙には困らなかったそうです

北見けんいちさんは小学校から漫画が好きな少年で将来の夢は漫画家でした。

でも漫画になると言ったら両親に大反対されるので最初のうちは趣味のカメラを活かして写真館を営んでいました。

お母さんについて

お母さんと弟と3人で日本へ引き上げる時はお母さんは男装していたそうです

お父さんが兵隊から帰って来るまで女手一つで切り盛りした気丈な女性。

お母さんとの思い出

漫画家を目指す時は反対されましたが赤塚不二夫さんのアシスタントに正式に決まると応援してくれていたことが嬉しかったと語っています

筆者の周りにも引揚者が大勢います

女性は男装して、もし女だと見抜かれてもブサイクに見られるように顔に墨を塗って日本に帰ってきたことを聞いたことがあります

そういう経験をした人は変わった職業に就いて成功した人が多かったので高齢となって逝去されていくと話しを聞く機会も減ってしまいました。

漫画家になったきっかけ

赤塚不二夫さんが師匠のいきさつ

21歳の時に埼玉県の鶴瀬に写真館を開業して順調に営業していましたが、好きな漫画を諦められずに写真館と漫画家を兼業していました。

漫画の原稿を小学館の少年サンデーの編集部に持ち込みをした時に、赤塚不二夫さんの「フジオ・プロ」のアシスタントとして北見けんいちさんを紹介したことが出会いです

昭和39年1月に正式に弟子入りが決まりました

赤塚不二夫さんとの共通点とは?

北見けんいちさんが弟子入りした赤塚不二夫さんは満州の引揚者でした

満州では同じ町で80mも離れていない場所に住んでいたそうです

そのことがわかったのは釣りバカ日誌を描き始めた頃、生まれた中国に行ってみようと漫画家の仲間と一緒に当時の満州へ行った時にわかったそうです

みんな同じくらいの年齢なので道ですれ違っていたかも知れない

顔を知っていたかも知れないと不思議な縁を感じたそうです

北見けんいちさんのプロフィール

名前:北見けんいち

本名:北見健一

愛称:けんちゃん

生年月日:1940年12月11日(昭和15年)

出生地:満州・新京(しんきょう)

(現在の中国吉林省長春市)

昭和21年に日本に引き揚げて東京下町で育ちました。

国籍:日本

学歴:東京都立科学工業高等学校卒業

(2001年・閉校)

職歴①:日本ゼオン

(高校卒業後に入社するが3ヶ月で退職)

(その後、多摩美術大学へ進学)

最終学歴:多摩美術大学付属芸術学園写真科卒業

職歴②

写真店を経営

1964年1月:赤塚不二夫さんのアシスタント

1979年:作品「どじょっこふなっこ」でデビュー

(週刊少年キング・少年画報社)

趣味

  • 野球「中日ドラゴンズのファン」
  • アウトドア
  • 写真

職業:漫画家

師匠:赤塚不二夫さん

代表作(大ヒット作品)

  • 釣りバカ日誌
  • 焼けあと元気くん

受賞

  • 1982年:小学館漫画賞受賞

作品「釣りバカ日誌」

  • 1989年:日本漫画家協会賞優秀賞

作品「焼けあとの元気くん」

  • 2009年:日本漫画家協会賞文部科学大臣賞

作品「全作品」

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

りおさより

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りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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