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原辰徳(監督)が野球よりも好きなものと妻と子供の現在は?

投稿日:2018-10-10 更新日:

原辰徳さんは読売ジャイアンツの元プロ野球選手です

2019年に3度目の読売ジャイアンツの監督に就任を打診されています

現役時代はイケメンのプロ野球選手として人気を馳せました

調べてみると、あらあらら…

妻は大恋愛の末に結婚、子供(男児)を授かっています

野球では成功したものの

私生活ではこれまでも、これからも波乱の人生模様がひそんでいました

原辰徳さんの野球よりも好きなもの

原辰徳さん https://media5.picsearch.com/is?VviwCJ6AUGv8KVUOTvtO4YuhqZ7ENZd2rDBrKDz2HaM&height=288

原辰徳さんは電話好き

2005年のオフには入団交渉している選手によく電話をかけることで有名な原辰徳さんです

豊田清さんには1日に3回も電話をかけて入団にこぎつけたとか

ドラフト指名の選手にも熱心に電話をかけてしまいます

この原辰徳さんの電話を

愛称「愛のテレフォン」と呼ばれています

原辰徳さんが野球よりも好きなもの

  • ゴルフです

2016年:戸塚カントリー倶楽部のチャンピオンを獲得

2017年:第56回報知アマゴルフ選手権に同コースの代表として出場

腕前はプロゴルフも唸らせるほどとか

ゴルフのきっかけ

プロ野球選手を引退した時に「これを機に、野球と少し距離を置いて、他の世界を見ておこう」と、その一つがゴルフとなりました

やるなら本気で取り組みたいと思ったそうです

かつて世界最強ゴルファーで名を馳せた同世代のグレッグ・ノーマンにチャレンジすることを目標としました

そして原辰徳さんはアマチュアのグランドチャンピオンの腕前となったそうです

  • プロレス

原辰徳さんはプロレスにも詳しくゲスト解説しています

試合を会場で観戦することもあるそうです

近くで原辰徳さんをみかけたらちょっと嬉しいですよね

ジャイアント馬場さんの訃報を聞いたときは宮﨑キャンプだったとか

原辰徳さんは

「僕にとってのヒーローが…」と号泣してしまったそうです

  • メロンパン

メロンパンが大好き

原辰徳さんは菓子パン類ではメロンパン以外は菓子パンとして認めていないとか

差し入れはメロンパンが良さそうですよね

原辰徳さんの結婚と子供について

結婚相手の名前は明子さんといいます

1986年

6歳年上の一般女性(旧姓・松本明子さん)と結婚

大恋愛の末に結婚が成就しました

当初はワイドナショーなどで略奪愛といわれたそうです

原辰徳さんは初婚

明子さんは再婚です

子供は1人(男児)を授かりました

子供の名前は「原嘉宏」さんといいます

野球の道には進みませんでした

お2人のなれそめを調べてみました

なれそめ

大学時代から交際していたので

原辰徳さんは

読売ジャイアンツに

入団1年目のオフにプロポーズしたそうです

しかし

野球の師匠でもあり父親でもある「原貢」さんに結婚を大反対されて明子さんとの交際は自然消滅

明子さんは別の男性と結婚されました

その後、父親・原貢さんは

息子・原辰徳さんにCMの仕事を次々と持ち込みました

失恋とCMの仕事と野球とで

「やってられない!」と思った時

父親「原貢さん」は

  • 「CMのプレッシャーに押しつぶされたらプロじゃない」
  • 「プレッシャーをはねのけて成績を残してこそ価値があるんだ!」

イケイケ状態で次々と前に進めたそうです

その後、原辰徳さんはスランプになると野球の成績もふるわなくなります

マスコミからも叩かれるようになったそうです

1985年:シーズンになると原辰徳さんの打者の復活の兆しが見え始めました

実は、この年、明子さんと再会

(明子さんは離婚していました)

原辰徳さんは今度は明子さんと結婚すると強い意志を持って

父親・原貢さんの反対を押し切って結婚しました

1986年11月に挙式をあげています

原辰徳さんの子供

子供は1人(男児)を授かりました

子供の名前は「原嘉宏」さんといいます

野球の道には進みませんでした

原嘉宏さんは幼少期から野球を始めましたが才能がなかったそうです

出身校は慶応幼稚舎から内部進学で慶応義塾大学文学部卒業

この一人息子がおぼっちゃまくんなんです

大学卒業も、なんとかやっとこさ卒業できたといわれています

そんなこんなで就職活動も

父親・原辰徳さんをヤキモキさせていました

現在は

マスコミだけでなく多方面から要注意人物とされているのだとか

父親・原辰徳さんの3回目の監督を目前に何も起こらないことを願いたいものです

卒業後は

ニートを経て

AKSには入社(コネ入社)したものの辞職

素行の悪さから事実上の解雇だったと言われています

遅刻や無断欠勤が多かったそうです

その後、

シャンパンの輸入を手がけているそうですが

学生時代から月に数は百万円の小遣いをもらっていたそうです

お小遣い800万円の噂も!

稼ぐ金額より使う金額がどう見ても高そうな気配

六本木では遊び人として名を馳せているようです

クラブのVIPルームを占拠するなど良くない噂が飛び交っていました

ある時は数百万円の腕時計をしていて「オヤジのタニマチに貰った」と話していたとか

オヤジって原辰徳さんなんですよね

父親の名声と栄光をそんなことに利用するとは…

なんともったいない

原辰徳さんと子供

選手には身だしなみを厳しく注意するのに息子には茶髪!

子供には甘すぎる父親ということがわかりました

原辰徳さんに生い立ち

幼少期

福岡県大牟田市で生まれて過ごしました

住まいは父親の仕事の関係で東洋高圧(現在の三井化学)の社宅に住んでいたそうです

同じ社宅には

元プロ野球選手・真弓明信さん(阪神タイガース第31代監督)も住んでいました

野球を始めたきっかけ

父・貢さんが高校野球の監督をしていたことがきっかけです

 

小学時代

  • 7歳の時

父親が福岡の三池工業高校を率いて甲子園に出場して初優勝に導きました

原辰徳さんは優勝の瞬間、三池に住む町の人の歓声に沸いたことが「野球ってすごいんだ」と実感したそうです

三池の町は炭鉱の町で優勝の話題は人々を明るく照らしました

原辰徳さんが憧れたのは読売ジャイアンツの「4番・長嶋茂雄」さんです

  • 小学2年生の時

父親が東海大学付属相模高等学校の野球部監督に就任

それに伴って一家は神奈川県に引っ越しました

それまでの原辰徳さんは小学校を3回転校を繰り返しています

神奈川県で落ち着いた生活を過ごしたようです

中学時代

厚木市立南毛利中学校へ進学

しかし相模原市立上鶴間中学校へ転校・卒業

中学時代は厚木氏の公営団地に住んでいました

その団地の同じ棟には

推理小説化の「森村誠一」さん一家も住んでいました

高校時代

東海大相模高校に進学

父親が監督を務めていたので東海大相模高校の進学に迷いがありませんでした

父親との約束は

  1. 他の選手の手前、厳しくするということです
  2. もし、他の選手と技術が同じで天秤にかけるときは息子を落とす
  3. 他の選手と比べた時、7:3で息子にするか考える
  4. 他の選手に1発殴るところを、息子には3発。

1年生から三塁手のレギュラーで活躍

夏の甲子園に3年連続で出場

神奈川県(地区大会)では川崎球場を満員にするほどの人気となりました

父親の指導が厳しすぎて、先輩から同情されたそうです

原辰徳さんは読売ジャイアンツに入る

行くならドラフト1位

それ以外は考えられないと練習に励みました

父・貢さんの監督指導は

マスコミの取材を受けさせました

その理由は「カメラのフラッシュごときで動揺するなら甲子園でヒットなど打てない」

そのおかげで選手達は、人前でも堂々としていたそうです

原辰徳さんは、どんなにマスコミにもみくちゃにされても眉毛ひとつ動かさないと言われました

さらに父・貢さんは練習前後のグラウンドの整備や草むしりなど、野球以外のことにも厳しく、手を抜いている選手は厳しく叱られました

プロ野球選手を作るのではなく、目指すのは社会に出て通用する人間をつくることが、父・貢さんの信念でした

のちに原辰徳さんは「温故知新」ということばであらわしています

父親のやり方をそのまま持ち込むのではなく、引き継ぐものと新しいものを取り入れて進化させるという考えあるというものでした

大学時代

東海大学政治経済学部に進学

読売ジャイアンツからの申し出は「1位指名ではありませんでした」

他球団からは「1位指名」でしたが

読売ジャイアンツから2位・3位で指名したいというものだったので大学進学をしたのです

当時の東海大学は野球で人気のない首都大学野球連盟に加盟していました

原辰徳さんが入学したことによって

ファンが殺到する事態に備えて

加盟校のグラウンドで行われた試合の他に

川崎球場や横浜スタジアムを利用しました

  • 大学4年生の時

アマチュア野球世界選手権(日本で開催)の時

原辰徳は大学生としてひとり、日本代表選手に選出・3位入賞

大学生ドラフト

1980年のドラフト会議で原辰徳さんは読売ジャイアンツからドラフト1位を勝ち取りました

他の球団も手をあげたので4分1の確立です

原辰徳さんはくじ引きで決まるにあたって、読売ジャイアンツに行くという迷いはなかったそうです

背番号について

前年で退任していた長嶋茂雄さんが

「できることなら永久欠番になっている僕の3番を譲りたい」と言わせました

長嶋茂雄さんについて書いた記事はこちら

実際の背番号

最初の背番号「8番」

高田繁さんの引退に伴い8番です

入団するにあたって「15年はプロ野球選手を続けていこう」と決意

そこに深い意味はなかったそうです

1981年:新人王獲得

日本一にも貢献しました

1982年:4番

1983年:リーグ優勝に貢献してMVPを獲得

ベストナイン、打点王などのタイトルを獲得

原辰徳さんは長嶋茂雄さんから4番や守備・サードなどを受け継ぎましたが、常に比べられ批判され続けていました

アキレス腱のケガに悩まされても

しかし愚痴や泣き言を言わなかったそうです

それは長嶋茂雄さんから「辰っちゃん、今の体験は、後になって絶対生きる」と励まされたからです

1995年:引退

プロ野球選手を15年続けようと何気なく思った通り、15年間の選手時代でした

原辰徳さんのコーチ・監督・不祥事

引退後の原辰徳さんは

野球解説者か監督のどちらかを交互に務めいているようです

1995年:引退(原辰徳さん37歳)

1996年:NHK野球解説者

スポーツ報知野球経論化へ就任

原辰徳さんは評論家として活躍しながら、いろいろな監督にインタビューをして、指導者の心理や戦略についての知識を学んでいきました

この時、野村克也監督に強い影響を受けたそうです

長嶋茂雄さんと野村克也さんは対照的だったことにあったことが影響を受けた大きなポイントでした

2人の違いは

長嶋茂雄さんは知識をほとんど語らないが議論や提案が好きな「感覚の人」

野村克也さんは知識を積極的に語る「理論の人」

長嶋一茂さんが語らないのはコーチたちが自身で考え、チームを能動的に役割を果たしていくことを望んだからだといわれています

原辰徳さんのコーチ

1999年:コーチに就任

第1次の原監督の背番号「83番」

前任者の長嶋一茂監督の背番号「3番」と原監督の現役の背番号「8番」を掛け合わせて「83番」となったそうです

監督・長嶋茂雄さんのもとで

ジャイアンツの一軍・野球総合コーチに就任しました

2000年:一軍のヘッドコーチに昇格

原辰徳さんの監督の特徴

選手と喜びを分かち合う時、ハイタッチではなく「グー✊」をするようです

気持ちを合わせないとグーでタッチできないので目を大きく開いて感情をお互いが確かめ合うのだとか

このグータッチが人気なんですよね

2019年からの読売ジャイアンツが楽しみです

原辰徳さんの✊ https://pbs.twimg.com/media/DpIwpywV4AA-9U6.jpg

2019年から監督に就任することを前向きに進められています

筆者も原辰徳さんが大好きです

ご活躍されることに期待します

原辰徳さんの不祥事

調べていくとちょっと残念な記事も見つけました

原辰徳さんはカッコイイですよね

モテないはずがありません

やっぱりありました「女性問題」と「金銭問題」がセットで!

しかし、この女性が大きな火種となってしまいました

原辰徳さんの不祥事

2012年6月:週刊文春で報じられた「事件」

内容

  • 1988年:不倫関係となった兵庫県の女性と関係が終わったものの日記の存在を手にした人がいました
  • 2006年:原辰徳さんを脅して1億円を支払ったという経緯が報じられました

原辰徳さんは

記事の内容を大筋で認めてファンに謝罪しました

1億円を支払った相手については「プロ野球と関係ある人物」と述べました

その後、日記を手にした人が交通事故で亡くなった後、

他の人から同様の件で原辰徳さんを脅してお金を奪おうとした人がいたようです

そのことを球団側が知るところとなり

やがて文藝春秋に報道されました

球団本部は

2012年12月12月:球団本部は文藝春秋を相手取り

名誉毀損で3000万円の損害賠償と謝罪広告掲載を請求する訴訟を提起しました

2015年7月:東京地検は球団の請求を棄却

文藝春秋が勝訴しました

判決

「脅した者を一般的な意味で反社会的勢力と考えるのは妥当」として文春報道の真実相当性を認定しました

同年12月:東京高裁は一審判決を支持し控訴を棄却

2016年6月:最高裁により球団側の上告を受理しない決定を東京高裁判決が確定

原辰徳さんの1次・監督時代

  • 2001年:長嶋茂雄さんの後任として監督就任

原辰徳さんは長嶋茂雄さんを尊敬していました

勇退の後任監督就任は一番嬉しかったのではないでしょうか

  • 2002年:キャッチフレーズ「ジャイアンツ愛」

原辰徳さんは監督初年度での日本一を達成しました

父・貢さんからのアドバイス

「監督ともなれば、お前も考え事が多くなるだろう」

「しかし、考える時は布団の中では考えるな。必ず電気をつけて、椅子に座って考えろ」

後に、原辰徳さんは布団の中で考えるとネガティブなこと(悪い方に)考えてしまう

勝つためにどうしたらよいのか、常に前向きに考えるようになったそうです

  • 2003年:人事異動の名目で監督を辞任

特別顧問に転任しました

当時の言葉は「夢の続きは、まだまだ終わりません」

この時、すでに阪神リーグを優勝に導いていた星野仙一監督(故)は原監督に花束を手渡し「原、絶対もう1回野球界に戻って来い」と言い、原監督は頷きました

  • 2003年:卒煙

(禁煙トレーニングを行いました)

原辰徳さんの特別顧問時代

任期:2004年-2006年

  • 日本テレビの野球解説
  • スポーツ報知客員評論家
  • TBSラジオ番組のパーソナリティを務めました

この時期の原辰徳さんは不得意だった講演会も積極的に引き受けるようになっています

自分の言葉で自分の考えや思いを伝える努力をしました

野球以外の人とも交流をして広い視野で物事をみるようになったそうです

「こうすればもっと野球がよるなる」とアイディアが生まれていきました

原辰徳さんの2次・監督時代

  • 2005年:堀内恒夫さん(監督)が成績不振により引責辞任

さらにプロ野球のテレビ視聴率が下がる傾向で、野球全体の人気も低迷していました

その後任として原辰徳さんが監督に再任

第2次原監督の背番号「88番」

自分の現役時代の背番号「8番」を2つ並べて「88番」にしたそうです

  • 2005年:チーム内の選手とスタッフは全面禁煙を徹底しました

原辰徳さんは

「強いチームを作るのにアスリートの自覚を持つこと」を理由にしています

(2018年現在、喫煙率0%を目指しています)

しかしながら、野球とチームには厳しい原辰徳さんですが、自身の子供には甘すぎて選手がドン引きしているようです

  • 2006年:再開にシーズンを終了

不振の理由は

  • シーズン当初は開幕ダッシュに成功して5月までは首位をキープ!

その後、ケガ人が続出して優勝争いから脱落しました

  • 2007年:この年から導入されたセ・リーグのクライマックスシリーズ2ndステージでペナントレース2位の中日に初戦から3連敗で日本シリーズの出場を逃しました
  • 2008年:ワールド・ベースボール・クラッシック日本代表監督へ就任

日本大会2連覇

  • 2009年:ワールド・ベースボール・クラッシック(スイス・ローザンヌ大会)

優勝

原辰徳さんの実績が評価されて最優秀監督に選出

  • 2009年:日本シリーズ優勝

原辰徳さんは監督として2度目の優勝を果たしました

  • 2010年:主力選手を揃えましたがなぜか不調で連覇を逃しました
  • 2011年:前年度の失敗から立て直しを図るも苦戦
  • 2012年:日本シリーズ優勝(3年ぶり)
  • 2013年:シニアアドバイザーに就任

(ワールド・ベースボール・クラッシック日本代表監督は就任しませんでした)

  • 2013年:リーグ優勝
  • 2014年:原辰徳さんの父親が心筋梗塞で入院

代役に川相さんが務めました

  • 2015年:B型インフルエンザウイルスに感染

代役に川相さんが務めました

  • 2015年:退任

ジャイアン退任後

  • 2016年:読売ジャイアンツの球団特別顧問に就任

東海大学の湘南キャンパスで開かれた「特別功労賞」に受賞式に参加

同大学出身の柔道男子日本代表の井上康生監督と対談しました

その際

「今年はテレビ解説とかは一切しない」

「開幕戦はゲストなら出てもいい」と話しました

  • 2016年12月:読売ジャイアンツのOB会の幹事に就任
  • 2017年:日本テレビの野球解説者として復帰

その他、TBSの侍ジャパンの中継のゲスト解説者として出演

  • 2018年:野球殿堂入りを果たしました

2018年:読売ジャイアンツ監督・高橋由伸(たかはし よしのぶ)さんが引責辞任

(成績が振るわなかったことが辞任の理由です)

(右)原辰徳さん(監督・後任者)(左)高橋由伸さん(監督・前任者) https://pbs.twimg.com/media/DpIHwiRWkAIRJCI.jpg

2019年:原辰徳さんが読売ジャイアンツ監督・3次に就任

引責辞任の後任監督を務めるのはこれで2度目のこと

高橋由伸さんの監督も素敵でしたが

原辰徳さんに大きな期待が寄せられます

  • 2018年10月10日

読売ジャイアンツの山口寿一オーナー(61歳・2018年現在)は

東京都大手町の球団事務所で

原辰徳さん(60歳)に監督復帰を正式に要請しました

前向きな返答を得られたことをあきらかにしました

原辰徳さんへ後任を要請した理由は?

経験豊富でどうやって勝てるチームをつくるかを知り尽くしている

読売ジャイアンツが難しい現状にあると危機感をあきらかにしました

チームは最期のリーグ優勝から4年が経過し、

世代交代の過渡期にあります

原辰徳さんに求められていること

優勝と育成

原辰徳さんには若い力を伸ばしてチームを立て直す手腕を求めているそうです

5年連続で優勝を伸ばせば球団ワースト記録となるだけに原辰徳さんの重圧は高くなります

優勝と育成の両立は難しい課題となりそうです

契約年数は?

2年~3年

安定して優勝争いができる大勢を整えるには、若い世代の台頭が欠かせないとかんがえているようです

高橋由伸監督が積極的に起用した吉川尚選手、田中俊選手などがレギュラーに定着して脇を固められれば将来への展望が開けてくるといわれています

就任発表はいつ?

チームの全日程が終了してからになる見通しです

長嶋茂雄元監督は?

2018年10月10日、山口寿一オーナーは

入院中の長嶋茂雄元監督(82歳)に報告したそうです

7月に体調不良で入院してから胆石がみつかりそのまま治療を続けています

山口寿一オーナーによると

順調に回復して病院内でリハビリを行っており、食事も十分にとれているそうです

長嶋茂雄元監督は監督交代に理解を示し

退任する高橋由伸監督に

「まだ若いのでチャンスはたくさんある、頑張って欲しい」と語りました

長嶋茂雄元監督について書いた記事はこちら

原辰徳さんのプロフィール

名前:原辰徳(はら たつのり)

生年月日:1958年7月22日

年齢:60歳(2018年現在)

出身地:福岡県大牟田市生まれの神奈川県育ち

身長180㎝

体重:88kg

出身校

  • 私立平原幼稚園・入園
  • 大牟田市立平原小学校入学・転校
  • 大牟田市立三池小学校・転校
  • 大牟田市立白川小学校・転校
  • 神奈川県厚木市立緑が丘小学校(小2の時)転入・卒業
  • 神奈川県厚木市立南毛利中学校・転校
  • 相模原市立上鶴間中学校・転入・卒業
  • 東海大学付属相模高等学校卒業
  • 東海大学卒業

職業:読売ジャイアンツの監督

(元読売ジャイアンツの一軍選手)

ポジション:内野手・外野手)

打球:右投げ

打席:右打

プロ入り:1980年(ドラフト1位)

初出場:1981年4月4日

引退:1995年10月8日

国際大会:日本代表(WBC・2009年)

父:原貢さん

勤め先:三井化学(福岡県時代)

その後、野球監督を務めていました(神奈川県)

  • 東海大学付属佐上高校
  • 東海大学硬式野球部

妹の子供(甥っ子):菅野智之(ジャイアンツに入団)

愛犬:名前はサム(故)

犬種:ボクサー犬

最後に

読売ジャイアンツの成績が不振になると後任の監督に白羽の矢が立つ人物が「原辰徳」さんです

シーズン終了後に会見を開くそうです

またグータッチが見れることが嬉しいですよね

期待したいと思います

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさより

 

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りおさーチ

こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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