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安田純平さんの衝撃の会見とは?トルコとシリアの生活を語る

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安田純平さんが2015年5月にトルコからシリアに入り、人質の生活の会見を発表しました

あきらめたら試合終了(2018年11月2日)

いつかは帰れると信じていたことをあきらかにしました

安田純平さんの妻について書いた記事はこちら

安田純平さんのトルコの時系列①

2014年6月:イスラム国が国家樹立を宣言

2015年:日本人2人がシリアで「イスラム国」に拘束

  • 後藤健二さん
  • 湯川遥菜さん

72時間以内に2億ドルの身代金の支払いを要求

2015年:1月:イスラム国が湯川遥香をあやめる

2015年2月:イスラム国が後藤さんをあやめた

時系列②:安田純平さんがシリアに行った理由

  • 当初の安田純平さんの予定

2015年6月22日7月~20日前後の滞在予定です

  • 安田純平さんの準備

全てを整えて入るのは状況的に難しい

受け入れ先であったアハラシャムの交渉をガイド兄弟がする

交渉ができなくて取材できなくても仕方ない

シリアに入った後は相手次第になる

衛星電話は使えないことも多い

受け入れられる体制が整ったらそれ以上は従うしかない

他の組織から引き受けた人もいるかもしれない

身柄がどこかにわたったかはわからない

組織ごとに別の組織に合流したかもしれないけれどわからない

安田純平さんがシリアに行きたかった理由

2015年5月

イスラムの資料が発見したと情報が入りました

人質になった人の映像があって信憑性が高いと思ったそうです

資料の内容

  • シリア取材をしていた戦闘員のリスト
  • 家族構成によって給料が違う
  • イスラムがならず者ではなく国家のようなもの

安田純平さんはどうしても取材したいと思ったそうです

当時のイスラム国の状況は

イスラムに対抗する組織が協力関係を組むことが始まる

そこには背後にある組織が同盟関係を組み始める

反政府側が一定の安定を見せ始めた時期

シリア勢力を持ち始めていた

安田純平さんが見たかったもの

ジャーナリストの仕事とは?

アサド政権に問題があるのか?

反政府側の顔をみたい

イスラム国の武装勢力には

勢力があるといっても地域の人々の価値観はそれぞれ異なります

その状況の中でも、一般治安の維持を始めていました

安田純平さんはキリスト教、イスラム教、少数派の一般の生活を見たいと思ったそうです

イスラム国の資料があるという情報もあいまってシリアに行きたいと思ったことを語りました

安田純平さんは

紛争地域が報じている事柄と

実際に行った人の感じ方の違いを報じたいと思ったそうです

イスラムの社会が外部から見た時、受け入れられるのかを見たい

さらに外国人の兵隊が入っているので

どういった事情で戦闘地域にやってきて兵隊になったのかも知りたいと思ったことをあかしました

取材後に、もともと住んでいる国に問題があるのかなどまで広げていきたいと思ったそうです

領域国民国家とは何か

世界がどのように変わっていくのか

表に出ている世界との違いを見たいと会見で語りました

時系列③安田純平さんの現地ガイドと消息

安田純平さんはシリア現地に入る方法を探りました

いくつか当たった中で

日本人を経てシリア人と知り合った「後藤健二さん」のガイドをしていた人物にたどり着きました

後藤健二さんのガイドとは

幼稚園をシリアで経営してトルコで後藤健二さんが拘束された際に、命を狙われてもおかしくないのにトルコでインターネットで顔を出して運営していました

安田純平さんはこの兄弟を信頼しました

彼が紹介したのはシリアの高い幹部にある・アハシャラダムという人物

安田純平さんが話しを進めていたのは弟のほうでした

当日は自身は仕事があるから兄がアシャラダムに合わせる手配になったそうです

弟からトルコからシリアに入る時は

兄がガイドを担当

従兄が車で迎えに行くことを告げられました

安田純平さんが消息を絶った時のこと

  • 2015年6月22日:安田純平さんトルコからシリアへ入国

その後、消息を絶つ

トルコ側が国境を厳しく監視していた

シリア人が利用している国境を超える道を選んだそうです

ガイド(兄)が一人で入って様子を見に行った

2回ほど往復して際、安田さんは車に残ったそうです

その間に別の方向からシリア人が家族を送ってきた人と、はちあわせました

その人について行くようにうながれたたそうです

ガイドが様子を見に行っている間のことだった

ガイドに嵌められたのかはわかっていないが安田純平さんは信用できるとしました

さらに自分の凡ミスと語りました

安田純平さん自身、今だに何が起きたのかわからない

安田純平さんは違和感を感じました

その人たちの存在は予定になかったからです

言葉巧みに、君のことは聞いているわかっているといわれたそうです

その時に話しが違ったがガイドが戻ってくる前に合流してしまった

安田純平さんのポイント①

「自分では何があったのかわからない」

専門家は

多分、人質ブローカーで話しが上手い人がたくさんいる

ここはトルコ側だから振り切れたかもしれない

安田純平さんがトラックの荷台に乗る

2人組の仲間に両腕をつかまれて彼らのトラックの荷台に乗せられました

異動してる間に安田純平さんは「アハラシャムか?」と聞く

すると「アハラシャム」あんなのはダメだという

これは予定とは違う人と合流してしまったと感じたそうです

トルコからシリアに入る時にいくつかのチェックポイントがありました

アハラシャムの言葉を聞いたが

安田さんには聞こえない何かを話した

チェックポイントで感じた違和感は仲間に対する対応ではないと思った

おかしいなと思った

時系列④安田純平さんのシリア生活

安田さんがトルコからシリアに入国

2015年

  • 6月22日:深夜にトルコから徒歩でシリア入り

ホプス工場に入れられる

  • 23日:近くの民家に監禁

荷物を置いて近くの民家に監禁

スパイ容疑がかかった

何者であるかを聞かれた

  • 23日:深夜、車で移動

スパイ容疑は溶けたが解放されなかった

集合住宅の地下牢に入れられる

  • 26日:別の場所「集合住宅の地下牢」に移動

トラックの中では目隠しされないが、寝そべって外から見えないようにしろと言われた

場所を移動した理由は

29日:一戸建ての民家に移動

農家からトイレまで外に行かないといけない

人に見られないように地下へ異動

床に水がたまっていて衛生的に悪い環境

通訳は環境が悪いので移動したそうです

安田純平さんの待遇とは?

彼らも安田さんをどう扱っていいかわからない状態

ゲスト扱いだった

安田さんのために6畳の1部屋に移された

見張りは5人ほど

他に1人はどこかと行き来する人がいた

安田純平さんの生活

一日6時間から10時間テレビが見ることができた

窓は観音開きで、2つある内の1つだけは開けることができた

夏でとにかく暑かった

トイレは見張りがついた

日記を書くことを許された

そのために詳細に記録された

  • 食事

少ないということはなく鶏肉料理やスイーツもあった

ピザのようなものをトルコの新聞に包んでもってきた

トルコから近い場所に監禁されていると推測した

  • 民家・住まい

部屋からは子どもの声が聴こえたので住宅地だと思っていた

  • 7月:日本にお金を要求すると言われた

ここから扱いが変わった

  • 8月上旬:日本にメッセージを描くように言われた

日本政府とのやりとり

日本側から金を払う用意があることを伝えられました

日本は武器を用意することはできない

そのかわり金を用意すると交渉

安田さんは誰に拘束されたのか?

安田さんを監禁している組織はあきらかにされていないので誰に拘束されたのかわからないと発言

ワタハという組織ならアハラシャムの側にあるので悪くは習いだろう聞いてみた

違うと答えが返ってきた

彼らは外国の支援は受け入れない組織

なぜなら外国から支援されると言うことを聞かないといけないから

パン工場を開いたりして生計をたてているそうです

身代金を要求していることを他の組織に知られているたくなかったようだと語りました

安田純平さんは組織名を言わなくても日本はお金を払うのか聞かれたそうです

日本政府の対応は時間かせぎをしていると感じた

日本側は組織名を聞き出すなどするだろうと思った

相手がわからなければ交渉できないし身代金が誰の手に渡ったのかを知ることは当然のことだと思うと安田純平さんは語りました

  • 2015年9月:ロシアによるシリア空爆
  • 12月7日:(1回目)

「日本に送るから個人情報を書け」と言われ書かされる

2016年

  • 1月6日:家族からの質問項目の答えを書かされる
  • 16日:別の一戸建て民家に移動
  • 19日:(2回目)
  • 同じ質問項目の答えを再び書かされる
  • 3月15日:動画撮影
  • 5月9日:別の民家に移動
  • 14日:ジャンダルマ(憲兵隊)が安田純平さんに近づいて見つかり拘束
  • 23日:安田純平さんはオレンジ色のTシャツを着て、手書きメッセージを持って写真撮影
  • 7月10日:ジャバル・ザウイーヤの巨大収容施設に移動

2016年:情勢

  • シリア・アサド政権は反体制派支配地域アレッポを制圧

2017年10月:情勢

  • クルド人勢力が「イスラム国」の首都ラッカを制圧

2017年

  • 10月17日:動画撮影(2018年7月22日に報道)

時系列⑤安田純平さんがゲストから人質に変わった時

2017年

  • 12月5日:日本側に送るから個人情報を書くように言われた

安田純平さんは日本側に放置するようにメッセージを送った

人質が生きている証拠を描かなければ身代金がもらえないためです

今月中には帰国できると話しがあった

  • 12月20日:日本側が交渉を絶った

過ぎても日本側から身代金が送られてこない

監視の人々の期限が悪くなった

トイレの帰りには尻を叩かれることもあった

妻のメールアドレスや住所を書かされた

妻から日本政府に圧力をかけるように促された

2018年

  • 1月16日:別の民家に移動

目隠しをさせられた

安田純平さんの暗号

  • 1月19日:2回目・同じ、質問項目を書かされた

安田さんは日本政府が無視したためだろうと思った

妻のことを「オク」と呼んでいる

何かあった時は放置「オクホウチ」と入れた

自分に何かあった時は無視するように話し合っていた

この後、

日本政府との連絡が途絶えた

監視員の態度が変わった時

日本政府からお金が取れないと知った時にゲストから人質に態度が変わったことをあきらかにされました

トイレに行っときに頭叩いたりするようになった

監視員は妻へ送った暗号の中に何か自分たちの不利になるようなことがあったと思ったそうです

拘束したのはお金をとるためだったのでお金が取れないと思ったとたんにゲストから人質に変わった

ここから厳しい環境になった

鼻炎で鼻から息がする時にふざけていると思われた

安田純平さんが収容された部屋

幅1m・長さ2m

物音を立ててはいけない

(指の関節の音もいけない)

(鼻をすする音もダメ)

(唾を飲み込む音もダメ)

他の部屋のうめき声を聞かされる

日本に送られた安田純平さんの画像

2018年

  • 3月15日:状況を代えるからと画像を撮られた

その2ヶ月後:助けて下さい、これが最後のチャンスと言われたとおりに取った

また、別の場所に移動

およそ10か所の移動

動画撮影を何度かさせられた

  • 2018年6月半ば:「ウマル」動画撮影

(2018年7月17日報道)

  • 7月5日:イタリア人の囚人が施設に入る
  • 7月25日:「ウマルで韓国人」と名乗った動画撮影

(2018年7月31日報道)

今すぐ助けて下さいと撮った

緊迫した雰囲気ではなかった

遊びのひとつだと思った

大きな施設では中国人と名乗った

涙が出るバージョンと出ないバージョンを撮影した

涙が出ないというと唐辛子を持ってきた

安田さんは遊びだと思った

9月4日頃:動画撮影(未公開)

29日:ジャバル・ザウイーヤの巨大収容施設へ移動

(地上5階、地下1階)

安田純平さんの帰国

  • 2018年10月22日:一戸建て民家に移動
  • 10月23日:「今からトルコ」と言われて車で移動

「今から帰す」と言われた

「このチャンスを逃したらもうない」といわれた

アンタキヤの入管施設へ移動

安田純平さんの質疑応答

安田純平さんは報道には事実に基づかない報道もある

報じられていることと実際に起こっていることは何かを伝えたかった

これまで何があったのかを1時間40分、語りました

自己責任について

当事者である自身が述べるのは話しにくい

海外で日本人に何かがあった時は対応しきれない

そのために日本領事館があるのです

しかし行ってはいけないとことろに行くのは自己責任である

準備をしなければならない

日本政府はやるべきことをやったと思う

日本政府に入った情報も錯綜していた

情報収集がしにくい

本当に安田さんの身柄を知っている人が難しい

外務省であっても困難

いろいろな人がお金を求めて安田さんを知っていると近寄ってくる

外務省には持っている情報を全て話すことをお伝えしました

外務省は妻の心のケアもしてくれた

質疑応答について

質問:今後も紛争地に行くのか?

答え:まだわからない

今はまだ考えられない

両親が生きている間に帰ることができたので、これからは親孝行したい

質問:以前、知人のガイドをした人のつてでシリアに入ろうとしたが、初めから人質としてみられていたという可能性はあると思うか?

答え:道案内(ガイド)の人間がいない間に、安田さんがシリアの家族を連れて戻ってきた人に合流してしまった

自身が悪かったと思う

ガイドがいない間に別行動してしまった

質問:紹介された案内人を信用したという根拠と過ちだったと思うか?

答え:ガイドはシリア人難民の幼稚園を運営している

日本人「後藤健二さん」の知人をガイドしている

後藤さんという方と教育の面で活動していた

後藤さんが拘束された間に自分たちはインターネットで顔を出していたことが信頼できると判断した

トルコからシリアに入る時は自分のミスだったと語りました

(後藤健二さんはイスラム国に拘束されて命を絶ちました、それでもガイドを信じられるということから始めから仕組まれたのではないか?と言われています)

質問:絶望する瞬間は?

身動きができない

不可能だと思った時は腹が立った時はドアを蹴った

それは何度もあった

安田純平さんを拘束した彼らは誰?

ずっとヌスラ組織かどうかはわからない

安田純平さんは誰に拘束されているのかわからないので監視員に「シリア体制をどうしたいのか」聞くといろいろな答えがあったそうです

すべてのイスラム国の人がが納得することはできないと思った

安田純平さんが拘束された大型施設とは?

身柄は100人ほど

地下1階と5階だて

3階に吹き抜けのスペースがあり、拘束されている人々を日光浴させている

その際、拘束されている人と少し話しができたそうです

どんな人が拘束されていたの?

安田純平さんが驚いたのは

ヌスラがヌスラを捕まえていた

いろいろな人がいる

安田純平さんはシリアの戦闘地域で

政府側のスパイとして子供がつかまった

障害者もいた

政府で「ちょっとフラフラと行ってみて来い」と行かせて捕まっている人がいる

反政府もいるが政府もやっている

安田さんが知りたかった一般生活の人がする民主化運動を知ることができた?

民主化を一般生活をしている人々からは聞くことは難しかった

紛争地域の中にも一般市民がいることを伝えたいと思った

民主化運動をしている市民をみることは監禁されているので難しかった

外の様子を聞いただけではわからなかった

安田純平さんの妻について書いた記事はこちら

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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