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山内惠介の下積み時代に母親と連絡を絶つ?おねえ疑惑と彼女とは

投稿日:2018-11-18 更新日:

山内惠介さんは演歌歌手です

演歌界の貴公子と言われているのでどんな人物なのかを調べてみるとリラックスタイムは2週間に1回のネイルサロンに行って、爪を整えて磨いてもらう習慣を6年ほど続けているそうです

さらにウクレレを弾くとか

有名になるまでには下積み時代があり、大好きなお母さんと連絡を絶つなど自分に厳しい一面がありました

そこで、山内惠介さんがどんな経緯で芸能界に入ったのかなどご紹介します

山内惠介さんの生い立ち

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生まれた時はなんと4600gの大きな健康優良児!

お母さんが美空ひばりさんの大ファンだったので胎教のような形でひばりの歌を聴いて生まれてきました

美空ひばりさんの福岡市民会館で行われたコンサートはお母さんの膝の上で観たそうです

ひばりさんの歌はその後の転機になる際に歌って歌手で成功

しかし売れっ子演歌歌手になるまでは下積み時代を耐えてきました

家族

山内惠介さんの家族は5人家族

両親と2人の兄がいます

山内惠介さんは男3人の末っ子に生まれました

小学校時代

子供の頃の夢は「歌手かアナウンサーになりたい」と卒業文集に書きました

夢を叶えられるとは凄いことですよね

小学時代は水泳に励んでいます

中学時代

初めて購入したCDは中山美穂さんとWANDSの「世界中の誰よりきっと」

演歌は好きだけど、友人が聴いていたJ-POPも聴いていたそうです

中学時代は放送部に所属していました

小学校の卒業文集には「将来の夢は歌手またはアナウンサー」

すでに夢に近づきつつあります

高校時代

高校は進学校の福岡県立筑前高等学校に入学

お勉強もできて、顔もイケメン!

なんだかモテそうですよね

1999年:高校1年生(16歳)の時に伯父さんが内緒で福岡のカラオケ大会に応募

山内惠介さんは生まれて初めてカラオケ大会に出場したそうです

その際、審査委員を務めた作曲家・水森英夫さんの目に留まりスカウト

水森英夫さんは、もともとの審査委員が病気で欠席したので代役を務めていたそうです

出会いって奇跡ですよね

その後、約1年間、月に1回のペースで東京に上京してレッスンを積みました

デビュー

2000年:17歳の時にビクターのプロデューサーのテストを受けデビューが決定

水森英夫さんに弟子として入り、ほとんど下積みもなくデビューするという奇蹟が起きたのです

東京に上京して福岡の高校から通信制の高校に変え、ビクターの社内でアルバイトしながらデビューに向けて準備したそうです

2001年:楽曲「霧情」でデビュー

黒髪を茶髪に変えました

山内惠介さんの下積み時代

デビューしてから一番辛かったのは?

デビュー当時は勝負する時期

1年目と2年目はキャンペーンなどで忙しく、歌える場所が与えられます

でも3年、4年と結果が出せないとだんだん歌える場所が少なくなります

その頃が一番辛かったそうです

実家に帰った方がいいのか真剣に考えて、水森英夫さんに相談していました

水森英夫さんは「今は耐えろ」

「覚悟して歌手になったなら、そう簡単に普通の生活に戻ろうなんて思うな」と励ましてくれたとあかしました

山内惠介さんは17歳の高校生で芸能界にすすんだのでアルバイトの経験もないのです

水森英夫さんは山内惠介さんの経歴を考えて「歌手の自覚をもつ」ように諭してくれました

気持ちを立て直すことができたのは?

1年に1度、新曲を出せること

シングル1枚を発売することは大勢の人が関わるので簡単なことではないそうです

水森英夫さんが新曲を書いてくださったことが大きな糧をなったことを語っています

普段は1人でカラオケに行ったり公園で歌ったりしていたそうです

お母さんと連絡を絶つ

山内惠介さんは末っ子でお母さんが大好き

しかし「心に甘えが見える」

「歌手としての自覚を持つ」

ホームシックと売れなくて不安でお母さんに電話をしてしまう

そこでお母さんとの連絡を絶つように指導が入りました

転機になったのは

2007年:三井エージェンシーに移籍

その後「NHK歌謡コンサート」で「イケメン3」の一人として活動

  1. 北川大介
  2. 竹島宏
  3. 山内惠介

山内惠介さんの彼女

演歌歌手は恋愛報道がほとんどありません

ファンからは「惠ちゃんには幸せになって欲しい」

「納得いく女性と結婚して欲しい」

「幸せになって欲しい」

などの声が多数ありました

山内惠介さんが普段からファンを大切にしているからこその温かい声援なんだなあと思いました

山内惠介さんの噂になった女性

三井エージェンシーの令嬢「悠加さん」(ゆうか)

りなさんは山内惠介さんを「いっちゃん」と呼びます

山内惠介さんは「りな」と呼び捨てなんです

山内惠介さんが自信のブログに女性の名前を書いただけで交際が噂になってしまったようです

悠加さんがアメリカのロサンゼルスの留学中に日本に帰国してスタッフとして山内惠介さんに同行したことが噂のきっかけになったそうです

山内惠介さんのおねえ疑惑
  • 疑惑①

山内惠介さんの話し方や仕草が女性的なためにおねえ疑惑となったそうです

売れなかった時期の山内惠介さんはちょっと生意気だったとか

歌手としての自覚が芽生え、謙虚になって物腰が柔らかくなったこともおねえ疑惑のひとつになったようです

30歳になると「男に生まれたことを大事にしよう」と研究中

以前、彼女がいたそうなのでおねえの信憑性はなさそうです

  • 疑惑②

冷え性と告白したことがおねえ疑惑となったようです

  • 疑惑③

小学校1年生の時に好きだった女の子の自宅に行って一緒にお人形遊びをしていたことをあきらかにしました

将来、結婚して女児を授かったら、素敵なパパになりそうですよね

  • 疑惑④

ネイルサロンに2週間に1度、通って爪を整えている

リラックスするという理由で6年ほど通っているそうです

郷ひろみさん(男性歌手)も爪のサロンを利用しているので、オシャレ男子はネイルサロンに通っていました

おねえ疑惑は、女性らしいことがきっかけとなったようです

山内惠介さんのプロフィール

名前:山内惠介(やまうち けいすけ)

生年月日:1983年5月31日

年齢:35歳(2019年1月)

出身地:福岡県糸島郡前島町

(現在は糸島市に合併されました)

血液型:O型

身長:178㎝

出身校:福岡県立筑前高等学校

特技:水泳

趣味:映画鑑賞

デビュー年:2001年

キャッチフレーズ「ぼくはエンカな高校生」

職業:演歌歌手

所属事務所:三井エージェンシー

略歴

  • 2007年:17歳でデビュー
  • 2009年:オリコン50週にわたりランクイン
  • 楽曲「風連湖」
  • 2010年:北海道根室市の味覚観光大使に任命
  • 2010年:糸島ふるさと大使に就任
  • 2013年:釧路空港宣伝特使に任命
  • 2014年:楽曲「恋の手本」がオリコン9位を獲得
  • 2015年:第57回日本レコード大賞・日本作曲家協会選奨受賞
  • 2015年:NHK紅白歌合戦初出場
  • 2016年:NHK紅白歌合戦出場
  • 2017年:NHK紅白歌合戦出場
  • 2018年:NHK紅白歌合戦出場

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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