登山家

野口健(登山家)の2人の母親の壮絶な教えとは?嫁と子供の現在

投稿日:

野口健さんは登山家です

日本人の真面目な父親と

2人の個性的な母親に育ち

壮絶な幼少時代を過ごしました

そんな野口健さんの

嫁って何をしている人?

子供についてなど

野口健さんについて調査しました

野口健さんのプロフィール

出展:Twitter

名前:野口健(のぐち けん)

生年月日:1973年8月21日

年齢:45歳

身長:169㎝

出身地:アメリカ合衆国ボストンマサチューセッツ州

人種:ハーフ

父親:日本人(福島県会津若松市)

母親:エジプト人(モナさん)

2人目の母:日本人(容子さん享年55歳)

学歴:亜細亜大学国際関係学部卒業

職業:登山家(アルピニスト)

肩書

  • アジア大学客員教授
  • 了徳寺大学教授
  • 徳島大学医学部運動機能外科非常勤講師
  • NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表

野口健さんの1度目の嫁

野口健さんが22歳の時

ネパールにて

国籍を持たない年下の少女と結婚しました

しかし2年で離婚しています

離婚の理由はあきらかにされていません

文化の違いや

国籍のない人との結婚で

何か法律的に生活することが難しかったのでしょうか

子供はいませんでした

もしも子供が生まれたらどうなるのでしょうね

野口健さんの2度目の嫁と子供

嫁の名前は加藤靖子さん(康子?)

2003年7月17日に、ご結婚されました

登山家(アルピニスト)として活躍しているので

加入している生命保険は17社

携帯電話の電波が限界になる位置で

嫁に電話をかけて万が一、自身が登山中に亡くなった場合に

これまでの元彼女にも保険金を分与するように

詳細を頼んだことをあかしました

嫁は怒るでしょう!

人間は生死に関わる時に普段は考えないような懺悔と感謝を考えるのかも知れません

そして野口健さんは

「山を下りると判断力が鈍る」そうです

自宅(平地)で生活していると体調が崩れることがあるそうです

筆者は面倒だなと思いますが

こんな野口健さんに合せられる嫁は愛情深いですよね

2018年12月現在も夫婦は仲良く生活されているようです

子供

2004年2月に長女(絵子)ちゃんが誕生

学校は立教英国学院(野口健さんの母校に進みました)

中学生から全寮制なので両親と離れて生活しています

10歳になると子供と一緒に冬山に登山にチャレンジしました

子供が「指が痛い」と訴えると

父・野口健さんは

「痛いうちは感覚があるうちは凍傷でないから大丈夫」と言い聞かせたそうです

10歳の少女が冬山に登山ってどうよ?と思うのですが

母親は許しているところをみると

野口健さんが嫁の言うことを聞かない性格なのか

それとも夫婦で子どもの教育を許せる範囲なのか

ちょっと変わったご家庭のようです

出展:Twitter

野口健さんの実の母・モナさん

野口健さんには2人の母親がいます

兄弟は兄がいます

父親は日本人(野口雅昭)さん

職業は外交官をしていたので世界中を転勤してきました

母親はエジプト人(モナさん)

旧姓:タドロス(ヘリオポリス出身)

モナさんはクオーターです

モナさんの父親はエジプト・レバノン人

母親はギリシャとフランスのハーフです

モナさんは4か国の混血なのでクオーターとされています

野口健さんが小学校の時に離婚

親権は父親が引き取りました

実母「モナ」さんの教え

アメリカでエジプト人の母親との間に生まれた野口健さんは

外交官の父親の転勤で世界中を転々をし

現地では公務員宿舎に暮らしていました

幼稚園時代

アメリカでイジメられた時

玄関先で実母・モナさんに「誰にやられた?」と聞かれ

「殴られた」と言うと

実母・モナさんは

「1発殴られた10発殴り返せ!」

「目には目を。歯には歯を」

「やられたら徹底的にやり返す!」

野口健さんは

「相手が大人数だから仕返しが難しい」と話すと

実母・モナさんは仕返しの方法を考え

幼稚園の野口健さんに

「どんな手を使ってもいい」

「相手の靴に入れなさいと画びょうを渡しました」

壮絶な幼少時代ですよね

激しい性格に育ちますよ

アラブ人女性は気性が激しいことがわかりました

両親の夫婦喧嘩は

「実母・モナさんがだいたい一方的にキレる」

玄関から植木鉢を持ってきて父親に投げるので家中泥だらけだったそうです

夜中に窓を開けて

「日本人ってサイテー!」と叫び

次の日、兄と2人で

「母ちゃんがすみません」と謝って回るのが大変だったそうです

母親の浮気現場を目撃!

ある日、母・モナさんは

「絵の勉強がしたい」と言って

男性の先生を家に呼び始めました

気づくと先生が頻繁に自宅に来るようになったそうです

ある日、街を友人と歩いていると

母・モナさんと男性(先生)が腕を組んで歩いている姿を目撃します

友人から

「あれ、健の母ちゃんだろ?」と言われ

「違う」と答えたそうです

両親の離婚

そうこうしているうちに

母・モナさんのお腹が大きくなり

「ん?母ちゃんの腹の子は誰の子だ?」と思ったとか

生まれてきた子供に「いさむ」と日本名を付けて一度は安心ではありませんでした

野口健さんは父親が帰ってくると

「いさむ君」の目や鼻や爪など

パーツの共通点を頑張って探すけれど全然似ていない!

一方で父親は自分の子供として

「いさむ君」を喜んで抱っこしていました

野口健さんは小学生なのに心の中で

「いさむ君は親父の子供じゃないよ」と叫んでいました

子供が大きくなるにつれて

「いさむ君は日本人の子供ではないことが判明」

夫婦関係がぎくしゃくし始めると

母・モナさんは「弟・いさむ君を連れて家を出ました」

野口健さんが父親に向けて言った言葉は

「母ちゃんは男を作って出てった」

「だから親父も早く女を作れ」

小学生の言う言葉とは思えないほど大人びていますよね

野口健さんの継母・容子さんと父親

父親

野口雅昭さんと言います

出身は福島県会津若松市です

千円札の野口英世さんは猪苗代(会津地方)出身ですが

親戚ではないようです

野口健さんと顔がどこか似ています

祖父は野口省己さんといい陸軍大学出身です

太平洋戦争時、インパール作戦などの陸軍参謀でした

父親はとても真面目で実直で優しい男性で

外交官として世界で活躍してきました

  • エジプト公使
  • イタリア公使
  • イエメン大使(日本人への暴動が起こり大変な土地だったようです)
  • シドニー総領事
  • チュニジア大使

父親から野口健さんさんへの教え

「物事は表面的なA面ではなく

努力しないと見えてこないB面を見ろ」

後にシェルパ基金を募る際

「ヒマラヤのB面を見た結果」であると語りました

モナさんと離婚後

再婚した後、モナさんが生活に困っていたため

自分の子供ではないが弟と妹が大学を出るまで

仕送りしていました

現在、モナさんはカナダに移住しています

継母・容子さん

1990年に父親が再婚

日本人の容子さんが母親になります

それまでは父親と2人でだらしない生活を送っていました

父親が再婚して生活はガラリを変わったそうです

実の母親も厳しかったけれど

また違った意味で厳しかったそうです

早寝早起きの規則正しい生活がはじまり

言葉遣いや身だしなみとマナー

そして命をかけて外交官の父親を守る気丈な性格の女性が母親になりました

野口健さんは厳しさの中に優しさを感じる母親として

容子さんに恋愛の相談をすることもあったそうです

2006年に容子さんは55歳の若さで逝去しました

病名は癌(がん)

とても気丈な女性だったそうです

野口健さんの生い立ち

小学校はエジプトのカイロ日本人学校に通い

小学6年生の時にイギリスの立教英国学院小学部に転校しました

中学校と高校まで全寮制の日本人の学校で過ごします

野口健さんは怒りっぽい性格で

よく生徒と喧嘩になったそうです

あまりにも喧嘩が多くて停学になったことがあります

その停学中に一人旅に出かけ

植村直己(登山家)さんの書籍「青春を山に賭けて」に出会い登山を始めました

出展:Twitter(野口健さんのカメラ機材)子供の頃はカメラマンが夢だったそうです

高校卒業後は日本の亜細亜大学に入学

当時は登山をする人が少なかったので

一人で自分探しの確認手段として植村直己さんを尊敬し

世界中の山に挑戦してきました

1999年(25歳)の時にエベレストにネパール側から登頂

3度度目の挑戦で成功しました

当時は七大陸最高峰の世界で最年少で登頂を記録して話題になりました

その後、15歳のアメリカ人に記録を破られましたが

野口健さんはとても凄いことを達成していたのです

継母・容子さんは

3度目のエベレストに挑戦する際

「いつまでも登れないようではダメ」

「ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカーよ」

「決着をつけなさい」という手紙を送ったそうです

エベレスト成功おめでとうございます

2000年:遭難死したシェルパ族の子供たちへの教育支援「シェルパ基金」を設立

2004年:自民党から参議院議員選挙の比例区へ出馬を打診されます

しかしタレント議員と批判に反発し出馬しませんでした

2006年:マナスル山麓のサマ村の教育支援のため「マナスル基金」を設立

2007年:了徳寺大学客員教授に就任

2008年:植村直己冒険賞を受賞

2008年8月:千葉県環境大使に就任

2009年:野口環境学校を岡山県ではじめる

2010年:サマ村に学校が開校

2014年:岡山県総社市環境観光大使に就任

2015年:ネパールに滞在中にネパール地震に被災

「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ復興支援を行う

2015年:第一回安藤忠雄文化財団賞を受賞

2017年:三菱自動車アンバサダーに就任

出展:Twitter

2018年:被災地で被害を受けた地域へ支援活動

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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