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瀬戸内寂聴の評判と現在は?過去の不倫を正当化!長女と実家は?

投稿日:2019-01-02 更新日:

瀬戸内寂聴さんの人生は

若い時には不倫相手と駆け落ちと

父親と長女と絶縁と波乱万丈を経て

出家後に和解します

瀬戸内寂聴さんは

ちょっと「はすっぱ」なことを好む女性です

高齢になられてからは

出家しても男性との交際を認め

犯罪を犯した人にて手紙を送り交流し

その人物の心に寄り添い更生のお手伝いもしています

一方で高級な牛肉とお酒を好む瀬戸内寂聴さんをご紹介します

瀬戸内寂聴さんの結婚

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1943年(21歳)の時、まだ東京女子大学に在学中でした

お見合い結婚をしました

夫の職業は学校の先生をしていました

1944年(22歳)の時に第一子(長女)を出産

長女の名前は迪子(みちこ)さんといいます

長女が生まれて2年後

夫の仕事の都合で中国・北京に同行します

1946年に日本に帰国

不倫の相手とは?

なんと夫の教え子と不倫

瀬戸内寂聴さんは夫と3歳の長女を残して家を出ます

さらにもう一人、不倫相手がいたそうです

(後に自身の不倫の経験を人生の糧に

好きになったら仕方がないと正当化し

小説家と僧侶活動に励んでいきます)

駆け落ちした相手と京都で生活を始めました

離婚

1950年に離婚が成立

当時の離婚は女性に不利なことが多く

瀬戸内寂聴さんは大変な思いをされました

後に夫のDVが原因で家を出たと語りました

しかし

このことが原因で父親と揉めて絶縁状態となり

長女とは絶縁状態となりました

和解

後に瀬戸内寂聴さんが出家して和解となったそうです

後に

「本当のね、恋の醍醐味は不倫」と語り

不倫を肯定する考えを主張しています

瀬戸内寂聴さんの実家

家業

徳島県徳島市塀裏町(現在の中州町)に生まれました

実家は仏壇店(瀬戸内商店)を営んでいます

以前、テレビ番組で先祖は「海賊」といい

実家からクレームがあったそうです

昔は船で生活をする人をひとまとめにして「海賊」としたそうです

船で生活している人から物資を調達することもあったとか

瀬戸内寂聴さんは小説家なので

何でも話を面白く大きくしてしまうので

実家から度々、お叱りをうけるとか

実家から連絡があると

「また何かやったかな?」と頭があがらないそうです

実家から「先祖は海賊」というのは違うから

やめて欲しいと言われてからテレビで発信していません

瀬戸内寂聴さんは「海賊はカッコイイ」し

あながち「海賊」は間違っていないと思うと語りました

家族

父親は「三谷豊吉」さんといいます

母親は「コハル」さんといいます

兄弟は姉がいます

改名について

後に従祖母「瀬戸内いと」さんと養子縁組したので

瀬戸内寂聴さんは

高校時代に「三谷」の姓から「瀬戸内」に改名しました

子供時代の瀬戸内寂聴さんは

体が弱く本をこよなく愛する少女だったそうです

瀬戸内寂聴さんの出家

瀬戸内寂聴さんは修道女を志しますが

乳児を残して男性と駆け落ちした過去があるので

教会から拒否されたそうです

多くの寺院に拒否されています

受け入れた寺院は

1973年(51歳)で出家しました

「今春聴」(今東光)さんの大僧正を師僧として

岩手県の中尊寺にて天台宗で得度しました

法名を寂聴としました

戸籍上の氏名は

1987年~2005年まで岩手県にて

天台寺住職となった際に瀬戸内寂聴に改名しました

1974年:比叡山で60日間の行を経て

京都嵯峨野で雀庵と名付けた庵に居します

尼僧として活動は週末には青空説法として法話を行っていました

説法

地方講演などでは「笑うこと」が大切と説法しています

座右の銘は「生きることは愛すること」

そして

「金をとる宗教は偽物」と自らの持論としています

瀬戸内寂聴さんの執筆活動

離婚後の瀬戸内寂聴さんは

東京へ行き本格的に小説家を目指します

ペンネームは三谷晴美と名乗りました

当時、執筆していたジャンルは「少女小説」です

「少女世界」誌に掲載されると

ペンネーム「三谷佐和子」で「ひまわり」誌の懸賞小説に入選

これを期に小学館や講談社で少女小説や童話を執筆します

  • 1956年:処女作「痛い靴」を文学者に発表

1956年:「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞

その受賞第1作「花芯」を執筆

この文中に「子宮」の単語が多かったことから

「子宮作家」とバカにされ批判されます

その後の数年間は文芸雑誌から執筆依頼がなくなりました

  • 1959年:同人誌「無名誌」に「田村俊子」の連載を開始
  • 1961年:田村俊子賞を受賞
  • 1959年:東京新聞に初の長編小説「女の海」を連載

その後「夏の終わり」で不倫(三角関係)の恋愛の体験を描き

1963年に女流文学賞を受賞

これを期に作家としての地位を確立します

これ以降30年間、受賞となる作品がありませんでした

  • 1988年:「寂聴 般若心経」を執筆

1年で43万部のベストセラー作家となります

1991年2月

湾岸戦争の停戦を祈って7日間の断食をおこない

1991年4月

救援カンパと徳島の大塚製薬の寄付の薬を持ってイラク訪問しました

  • 1992年:「一遍上人」を描いた「花に問え」で谷崎潤一郎を受賞しました

その後「源氏物語」の現代日本語文法訳が話題になりました

  • 1996年:芸術選奨
  • 2006年:文化勲章
  • 2011年:泉鏡花文学賞受賞

瀬戸内寂聴さんの病気
  • 2007年8月11日:「加齢黄斑変性」

徳島県立文学書道館での講演で

加齢黄斑変性のため右目が見えなくなったことをあかしました

  • 2010年:「脊髄を圧迫骨折」

3年間、寝たきりの生活を余儀なくされました

  • 心臓と足のカテーテル手術を経験
  • 治療中の検査で「胆のうがん」が発見されますが

医師の診断では90歳を過ぎて手術する人はいないと言われたものの

瀬戸内寂聴さんは「すぐに取ってください」とその場で決断し

手術は成功しました

復帰

2015年11月4日にテレビ朝日「徹子の部屋」に出演

その際、入院中に腰の激痛に耐えかね

「もう神も仏もない」と語ったとあかしました

黒柳徹子さんとは40年来の交際で

徹子の部屋に19回も出演を記録しています

現在は

お酒も嗜んでいます

通常の出家のような禁忌生活はありません

2005年にテレビドラマ「女の一代記」が放送されました

これは瀬戸内寂聴さんが主人公とした物語です

この時、出家後も男性と交際していることを認めました

自信が若かりし頃に不倫した経験は

「好きになったら仕方がない」と肯定しました

ん?理性と情はないようです

化粧も施し身だしなみは女性的です

高級な霜降り肉が好物でたくさん食べます

お肉を召し上がる時は

僧侶の服装を着替えることをあきらかにしました

自身は殺生をしなければよいと語り

人様から頂いた高級食材は

自身は殺生をしていないのでありがたく頂くそうです

タレントの清水ミチコさんはこれをモノマネのネタにしています

清水ミチコさんについて書いた記事はこちら

特に犯罪を犯した人物や

マスコミに叩かれた人物と交流し

救いの手を差し伸べる活動をしています

瀬戸内寂聴さんのプロフィール

名前:瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう)

ペンネーム:三谷晴美

属名:晴美

生年月日:1922年5月15日

年齢:96歳

出身地:徳島県徳島市

現在は京都に在住

身長:150㎝

出身校

  • 徳島県立高等女学校卒業
  • (現在は徳島県立城東高等学校)
  • 東京女子大学国語専攻部卒業

学位:文学士

デビュー年:1956年

職業:小説家・天台宗の尼僧侶

僧位:権大僧正

肩書

  • 名誉住職
  • 比叡山延暦寺禅光坊住職
  • 元、敦賀短期大学学長
  • 徳島市名誉市民
  • 京都市名誉市民

  • 1997年:文化功労者
  • 2006年:文化勲章

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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