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YOSHIKIが語るXJAPANとTOSHIへの想いと解散まで

投稿日:2018-03-31 更新日:

X現象を巻き起こしたXJAPAN

リーダーYOSHIさんが語る

XJAPANとTOSHIへの想いを掲載しました

YOSIHIKIさんからTBSの金スマ番組を通して

語ったことから本質が明らかになりました

数回に分けて掲載していきたいと思います

XJAPANのインディーズ時代

https://media4.picsearch.com/is?6cvyJX4p3-4-GcLbVZDxhYW9PcR9oczMvI_GuQ7ALQU&height=341

1980年

千葉県から上京したYOSHIKIさんとTOSHIさん

なんのつてもないままライブハウスなどでメンバーを探しました

XJAPANはインディーズバンドとして

全国を一台の車で行脚し

車の中で寝泊まりしたそうです

YOSHIKIさんはメンバーへの思いを

「家族のような存在」

などと話しています

メンバーとの絆とはXJAPANが売れるために大切なことでした

この時に困ったこと

車で寝泊まりしていると

蚊に刺されることが多く

ロックミュージシャンが

あちこち蚊に刺されて赤くなったところを

ファンに見せたくなかったそうです

YOSHIKIさんは売れるためにはどうしたらいいのか?

いつも考えていたとか

メンバー全員に金色に髪を染めることを提案しました

当時のYOSHIKIさんの口癖

メンバーに必ず成功させるから

俺についてきて欲しい

などと毎日、何度も言っていたそうです

YOSHIKIさんとお母さんと初めてのアルバム

YOSHIKIさんはアルバムを制作したいと考えました

ライブハウスに来る人は限られています

全国のたくさんの人にXJAPANを知ってもらうために

CDを制作することが必要と考えていました

しかしCD制作には1千万円というお金がかかります

どうしてもあきらめられなかったYOSHIKIさんは

お母さんに頼むと

翌日には援助してもらうことができました

お母さんはは息子の可能性を信じたそうです

学生時代の多感な時期を乗り越えて

音楽活動するYOSHIKIさんに

一本筋の通った言い分が受け入れられたようです

お母さんからは「もういいんじゃない?」

などと言われたようです

このことがきっかけでXJAPANのメンバーは後戻りできないという覚悟ができたようです

はじめてのレコーディングは?

「I'LL KILL YOU」を発売しました

HIDEさんとYOSHIさん

1987年

YOSHIKIさんはHIDEさんを説得してメンバーに加入

こうしてデビュー当時のXJAPANが揃っていきました

HIDEさんは

美容師の道に進むことを決めていたそうです

後に、XJAPANが解散した時や

YOSHIKIさんがメンバーへの思いが

上手に伝わらない時

HIDEさんは

YOSHIKIさんの良き理解者となり励ましてきました

XJAPANのデビューとテレビに出ることの意味

XJAPANは派手な衣装と

金色に染めた髪と

激しいリズムを刻む音楽で

突然テレビに登場しました

マスコミの報道からは中身のない音楽と評価されたのです

一方でテレビを見た人から圧倒的に支持されました

ソニーレコードの津田直士さんが目をつけます

津田直士さんは

XJAPANの後のプロデューサーになっています

美しいい音色が印象的で「ミシド」で始まるので

津田さんはブレイクすると確信したそうです

メジャーデビュー曲

1989年

アルバムの「BLUE BLOOD」(ブルーブラッド)を発売

セールス:60万枚達成

特徴:過激なスタイルと美しい音源

XJAPANはビジュアル系バンドを確立しました

YOSHIKIさんが考えてきたこと

インディーズバンド時代から

売れることを考えてきました

  • 夢を実現すること
  • メンバーの生活を守る

などの責任があったからです

楽曲:ENDLESS RAIN

XJAPANは「中身のないバンド」という評判を何とかしたいと思っていました

楽曲:「ENDLESS RAIN」(エンドレスレイン)で挽回できたそうです

当時の内閣総理大臣は小泉純一郎さんが

XJAPANの楽曲を高く評価!

「ENDLESS RAIN」が好きな曲だと発表しました

X現象とは

デビュー3年目には「X現象」という社会現象が起きました

筆者の学校ではクラスの半数がXJAPANのファン

残りの半数はジャニーズ事務所のタレント

などという現象があったことを覚えています

1999年後半の日本のロックバンドとは

テレビに出ると価値が下がるから出ないとされていました

しかし、YOSHIKIさんはテレビに出ることで

何が変わるかを見たかったと話しています

イメージ

XJAPAN、海外進出について

1991年11月にアメリカ合衆国へ進出

そのために日本の音楽活動を停止しました

大晦日の

第42回NHK紅白歌合戦に初出場した後

ベースのTAIJIさんを解任したことを明らかにしました

アメリカと契約が決まると

「英語を母国としないバンドは成功しない」

マスコミから告げられたのです

YOSHIKIさんは

夢を実現するためにスピードを上げます

そのことがXJAPANの解散を加速させた原因の

大きな1つになったようです

アメリカでの休みの日は?

メンバーは日本に帰国してリフレッシュ!

しかしボーカルのTOSHIさんは違いました

ネイティブ発音で歌うために

レッスンの日々が続きました

TOSHIさんのストレスと結婚

TOSHIさんは

レコーディングスタジオに入れくなるほど

ストレスを感じるようになったそうです

音楽に対する自信をなくした頃に

出会った日本人の女性と結婚しています

家庭を持ったTOSHIさんは

自分の居場所を見出したようです

しかし結婚相手は自己啓発の団体の一員でした

TOSHIさんはYOSHIKIさんを悪い人と洗脳され

幼い頃から続いた友情をやめました

1997年:大晦日に1日だけの解散コンサート

この時TOSHIさんは何も言葉を交わさなかったそうです。

YOSHIKIさんとHIDEは

もしもコンサートの最中に何か起きた時は

マイクの電源を切ること決めていたそうです

解散コンサートでは

何も話さない2人が抱擁する場面があります

男の友情を確かめ合う瞬間が美しいと思いました

その後、2人が再会するまで長い年月が過ぎました

最後に

XJAPANは「X現象」とよばれるほどに社会現象を巻き起こしました

筆者の学校では

クラスの半数がXJAPANのファンで

残りの半数はジャニーズ事務所のタレントでした

ちょっと変わった現象があったことを覚えています

クラスメイトの中には

XJAPANのコンサートツアーの後を追いかけるようになり

いつしか学校を去って行ったことが印象に残っています

TBSの金スマ番組でYOSHIKIさんが自身の想いを語りました

これから変わっていくXJAPANを見守りたいですね

最後まで読んで下さいましてありがとうございました

りおさ

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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