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西原理恵子の衝撃過ぎる生い立ちと実家は?結婚と子供と現在

投稿日:2019-02-16 更新日:

西原理恵子さんは漫画家です

高須クリニックの院長の高須克弥さんと

セレブ交際が報じられましたが

衝撃過ぎる生い立ちだったので実家について調べました

さらに結婚と子供のこともご紹介します

西原理恵子さんの生い立ち

https://media1.picsearch.com/is?vox6p48PJmW2QBtch8Q-K5bchI9NQcbTyffCxJLRi88&height=171

西原理恵子さんの出生

高知県の海辺の綺麗な街で

シングルマザーの母親のもとで生まれました

兄弟は兄がいます

実の父親はアルコール中毒だったので

西原理恵子さんを出産する前に離婚

母親は実家の高知県の小さな港町に戻り

3歳まで祖父の実家で

地元の人々に可愛がられて暮らしました

実の父親は3歳の時に逝去されているようです

母親の再婚

7歳の時に母親が再婚

海辺から遠い団地に引っ越します

母の再婚相手となった義父はタクシーが記者を経営していました

ギャンブルが好きで

仕事の浮き沈みが激しく

家庭では喧嘩と罵倒が絶えませんでしたが

西原理恵子さんを

可愛がってくれたそうです

新しい父親と母親はよく喧嘩していましたが

どこでもそういうものだと思っていました

義父の口癖

「この子はとても頭がいい」

「将来が楽しみ」

「普通の子供と違う人生を送れる」

などが口癖だったそうです

そんな風に可愛がった義父ですが

子供の貯金も取り上げて

ギャンブルに使うような人物だったそうです

高校時代

私立土佐女子高校に進学

高校3年生の時に

スナックに出入りして飲酒が発覚

学校側の処分は退学でした

西原理恵子さんらは

「一方的な処分は不服」として学校側を提訴しました

義父は従業員の地位保全裁判の経験があり

西原理恵子さんを信じて

「金をやるから戦ってみなさい」と

弁護士を紹介してくれたそうです

西原理恵子さんはお勉強ができたので

大検に合格すると

裁判で復学を求める理由がなくなったのです

最終的に和解しました

この経験から学校側は裁判を有利にするために

身に覚えない非行を書類に並べ

退学処分とした生徒たちを陥れたそうです

西原理恵子さんはこの経験から

「正しいほうが勝つわけじゃない

喧嘩はえげつないと勝てない」と学んだのでした

大学受験と義父

家庭の経済状況が芳しくないとわかっていながら

美大を目指していました

大学入試で東京に上京中に

義父は借金に苦しんで首つりをして

自ら命を絶ってしまいました

西原理恵子さんが知らせを聞いて

高知県に帰ると母親の顔が腫れていました

義父は大学受験費用を捻出するために

母親を殴っていたそうです

西原理恵子さんは家庭の事情を知っていたのに

見て見ないふりしていたことを恥じました

義父はもともとギャンブルが好きで

莫大な借金を作ってしまったそうです

そして葬儀の際に

何かと理由を述べて金目のものを

持って帰る弔問客を醜いと思いました

東京に上京した理由

葬儀が終わると

母親が家中のお金を集めて

ここにいてはいけないと

100万円を工面してくれて上京しました

西原理恵子さんの地元・高知県の生活は

周囲の大人はいつも怒っていたそうです

女性は男性に殴られて

殴られる女性は我慢強いと

褒められたそうです

殴られた母親は子供を本気で怒るそうです

西原理恵子さんは将来子供を出産したら

安いアパートに住んで子沢山になって

洗濯機回しながら旦那に殴られるんだと

思ったそうです

素敵な女性は周りにいなく

男性は女性を殴って優しくなかったので

将来が怖かったそうです

上京した西原理恵子さんは

美大予備校生として飲食店の皿洗いなどの

アルバイトを始めました

大学合格

その後、武蔵野美術大学資格伝達デザイン学科に合格

大学に進学してから

自分の立ち位置がわかったそうです

自分は多分この学校の最低ランクにいる

同級生に勝負するにしても

4年後に就職でも勝てるかわからない

在学中に自分でご飯が食べられる場所を

見つけないと大変なことになると

冷静に分析していました

東京都新宿歌舞伎町のミニスカートパブで

時給1400円でホステスの日々を過ごします

しかし都会でいろいろな人生を送っている人を見ると

そこでも人生に対して

恐怖と不安を感じるようになりました

そして現実は

アルバイトを終えて家に帰る途中

朝の6時頃に80歳くらいのおばあさんが立っているので

大変だなあと思ってよーく見ると

おじいさんが女装して

酔っ払ったお客様を拾っていたそうです

さらにホストは生ごみと一緒に

捨てられてる様子を見ながら帰ると

働かない彼氏が待っていたそうです

それでも別れられなかった理由は

寂しがり屋で一人ではいられなかったから

病気だと思っていたそうです

漫画家デビュー

在学中から描き始めた成人雑誌のカットが

小学館の編集者の目にとまり

1988年(24歳)の時に

ヤングサンデー「ちくろ幼稚園」でデビューしました

西原理恵子さんの血筋

人気漫画家としてご活躍される中

パチンコや麻雀などに熱中

その結果10年間で約5000万円を損失していました

30代から年収は8000万円~1億円を稼ぎ

麻雀には年平均500万円ほど使っていたそうです

年収から見ると趣味の範囲なんだとか

西原理恵子さんの最初の夫

写真家の鴨志田穣さんと結婚

なれそめ

1996年に旅行体験ルポの「鳥頭紀行」の仕事で

タイに同行した人物が鴨志田穣さんでした

戦争写真家(フリーカメラマン)として

活動されていました

この時はフォトジャーナリストとして

同行していたそうです

一途に西原理恵子さんにアタック

1996年(32歳)の時に結婚しました

しかし元夫は実際は夢ばかり追いかける人物で

戦場のフラッシュバックで

アルコール依存症になったそうです

離婚

2003年

鴨志田穣さんはアルコール依存症とDVから

家庭内暴力で精神病棟への入退院を繰り返し

家の中で暴れる夫から子供を必死で守り

漫画「どん底でこそ笑おう」を描き続けると

元夫は追い詰められ、西原理恵子さんも限界で

離婚しました

子供の頃に将来を感じたことが的中

前夫は離婚後に末期がんを発症

次の夫になる高須克弥さんの勧めで

離婚した身でありながら

2006年に元夫と入籍をせずに

前夫の最期を家族として

アルコール依存症の回復と

末期がんの闘病生活を

子供達と共に全面的にサポートして

看取りました

アルコール依存症は一人で治せる人は2割しかいないそうです

鴨志田穣さんは西原理恵子さんと子供と

家族として半年ほど過ごすと

アルコール依存症が治っていることを

喜んでいたそうです

子供が可愛いと話すようになったとか

葬儀では喪主を務め

元夫の遺言で世界各国の海に遺灰を流し

一部は鴨志田穣さんの遺族が引き取りました

鴨志田穣さんのプロフィール

本名:鴨志田穣(かもしだ ゆたか)

生年月日:1964年7月2日

没年月日:2007年3月20日

病名:腎臓がん

享年:42歳

職業:フリーの戦場写真家

出身地:神奈川県川崎市

育ち:北海道札幌市

学校

北海道教育大学付属札幌小学校

北海道教育大学付属中学校

東海大学付属第四高等学校

大学進学は断念

子供

一男一女に恵まれました

西原理恵子さんの2度目の夫

https://media3.picsearch.com/is?DcS_KrK2yqY2SEs8PGrhM6wlMAylUFeJztFy1s3IgeI&height=116

高須克弥さんと事実婚をしました

お互いの配偶者は死別しています

第二の人生と2人で歩むことを決められました

結婚となるとお互いなにかと整理が大変

さらに男に頼り切るのは危険

自分で稼いで食べたいものと指輪は自分で買う!

それから人は忙しいほうがいい

人を嫌って文句言ったり

悪口言うのはヒマな証拠ときっぱり語りました

そこで結婚にとわられずに

事実婚としてパートナーが続いています

出会い

前の夫と知り合う前から

高須克弥さんとは知り合っていたようです

気前の良いタニマチとして

遊び仲間の1人でした

なれそめ

西原理恵子さんが新潮社の雑誌で

下品な高須克弥と友達になりたいと

丁寧なファンレターを書いたことがきっかけです

高須克弥さんは冗談と思いつつ

本気かもしれない気持ちから

「友達になってくれませんか?」と書いたそうです

西原理恵子さんは

「やった!金づるができた」と思ったとか

友達になった西原理恵子さんは

高須克弥さんに生い立ちや

元夫が末期がんに侵されていることをあかすと

「もう1度、元夫と暮らしてあげなさい」

「あなたの膝で看取ってあげなさい」

「それはあなた(西原さん)のために」

「鴨ちゃんはこのままだともうすぐ亡くなるけど

あなたに捨てられて

家族に捨てられて

野良犬のようになって亡くなるのと

治ったから一緒に暮らして

これからも家族と思って暮らすことは

天と地ほどの差があるんだよ」と

言ってくれたそうです

西原理恵子さんは高須克弥さんに相談しながら

助言を受けて

元夫のアルコール依存症と

末期がんの治療を全面的にサポート

そして子供たちとも同居して

家族として最期を看取りました

高須克弥さんは西原理恵子さんに後悔しないように

すべてを受け入れて相談に乗っていました

2007年に元夫の鴨志田穣さんが逝去

その後

2010年に高須克弥さんの妻が逝去しました

元気がなくて愛犬も亡くなって

息子さんは3人いても慰めにはならず

一緒にご飯を食べようと誘うようになって

2人はお互いを理解する者として

公私共にパートナーとなりました

高須克弥さんについて書いた記事はこちら

西原理恵子さんの子供達

長男

名前は非公開にされています

学校は明星学園に通っていたようです

2016年(16歳)の時にアメリカ留学

大学へ進学されているようですが学校名は非公開とされています

明星学園に入学したのは中学校からで

学校の事は

漫画で描かないで欲しいといわれていたので

子供の事は公表しないようにしているようです

長女

16歳の頃から舞台デビュー

舞台を中心とした女優さんにすすんだようです

西原理恵子さんのプロフィール

本名:西原恵理子(さいはら りえこ)

生年月日:1964年11月1日

年齢:54歳(2019年2月現在)

出身地:高知県高知市

結婚歴:バツイチ

元夫:鴨志田穣(写真家)

現在の夫は事実婚:高須克弥(医師)

職業:漫画家

デビュー年:1988年

受賞

  • 1997年:第43回文藝春秋漫画賞
  • 2005年:第8回文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞
  • 2005年:第9回手塚治虫文化賞短編賞
  • 2011年:第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞

肩書:財団法人高須克弥記念財団の理事長

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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