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寺尾聡さんの2度の結婚と嫁と子供は?ヤンチャすぎる経歴とは?

投稿日:2019-05-24 更新日:

寺尾聡さんは2世タレントの元石原軍団の歌手で俳優です

渋い演技に魅力と人気が集まります

私生活をほとんど語らないので

ミステリアスですよね

若い頃はやんちゃな性格だったようです

2度の結婚と子供についても気になります

どんな人物なのか調べました

寺尾聡さんの初婚の嫁

1973年に26歳の寺尾聡さんは

女優の范文雀(はん ぶんじゃく)と結婚しました

当時の范文雀さんは萩原健一さん(故)と交際

破局後は石橋正次さんと交際しましたが

すぐに別れてしまったそうです

一方の寺尾聡さんはジュディ・オングさんと

真剣交際していたと報じられました

しかしジュディ・オングさんが「卵巣腫瘍」の治療を受けるようになり関係がギクシャクし始めたそうです

家庭に入るか仕事を取るか選択の際に

仕事を優先させたこと別れとなったと

いわれています

そんな寺尾聡さんと范文雀さんは

幸せを願ってご結婚されたのです

[なれそめ]

日本テレビの番組「2丁目3番地」で共演て交際に発展したそうです

交際がマスコミに出なかったので

結婚してから2か月目の8月ににキャッチされ

翌9月に石原裕次郎夫妻の仲人にて

結婚式を挙げました

[結婚]

寺尾聡さんは嫁に家庭に入って欲しくて

嫁は一時芸能界を引退しています

[子供]

いませんでした

范文雀さんのプロフィール

本名:范文雀(はん ぶんじゃく)

くじゃくのように美しくなるように願いが込められました

生年月日:1948年4月15日

没年月日:2002年11月5日

享年:54歳

国籍:中国

出生地:東京都中野区

出身地:広島県広島市

死没地:東京都

両親は台湾の方ですが日本で育ったので中国語はできません

父親は音楽家ですが

范文雀さんが5歳の頃

台湾に1人で帰国したので

祖父母の家に身を寄せ

母と兄と暮らしていました

祖父母は広島県の駅前で「胡蝶園」という中華料理店を経営していたそうです

祖母に溺愛された范文雀さんだけが本宅で何不自由なく育てられました

母と兄は従業員寮の一部屋で暮らしていたそうです

3年後に父が帰国しましたが

祖母は范文雀さんを手放さなかったので

その後両親と兄だけが東京に戻ったそうです

そして15歳の時に家出するかたちで上京しました

祖母に可愛がられて育ちましたが

最後まで祖母には馴染めなかったそうです

出身校

広島ノートルダム清心中学校卒業

清泉女子大学英文科卒業

上智大学外国語学部比較文化学科中退

血液型:O型

職業:女優・声優

活動期間:1968年~2002年

上智大学に在学中にドラマデビューしました

エキゾチックな顔立ちが人気を集め

学業と両立が難しかったのかもしれません

代表作品:テレビドラマ「サインはV」

[離婚]

元嫁との結婚生活は1年と短いものでした

11月15日に別々に離婚会見が開かれ

仲人を務めた石原裕次郎さんの嫁・まき子夫人が

それぞれの会見に同席しています

裕次郎さんは「太陽にほえろ」のロケの収録で

まき子夫人が代理を務めました

離婚の理由は

元嫁の男性問題やすれ違いなど諸説ありますが

確証はありませんでした

離婚会見で寺尾聡さんは

石原裕次郎夫妻を見て

男としてああいう家庭を作りたいと思った

僕なりに一生懸命に仕事をしました

朝から晩まで家にいない状態になってしまった

いい方向に進むつもりが

結果としてよくありませんでしたと

心境を語りました

嫁の范文雀さんの離婚会見は

笑顔を見せつつも

性格の不一致

最初から相容れない部分があったかもと語りました

仲人のまき子夫人は

私達の世代とは考え方が違うようですなどと

離婚の理由をはっきり語らず

心境のみの会見に首をかしげていたようです

寺尾聡さんは

嫁には家庭に入って欲しいと望んだことや

嫁の性格が

寺尾聡さんとぶつかったのかもしれません

[范文雀さんの性格]

嫁は感受性が鋭く聡明な人物で

人に媚びることがなく

気に入らなければ大物俳優との共演も

辞退するタイプで

自分の意思を曲げることはなく

ストイックでプロフェッショナルな仕事ぶりが

情熱的な性格も魅力のひとつとなって

ファンや関係者から人気を集めた女優さんです

寺尾聡さんも熱い性格で

一本気なので喧嘩したら

お互い一歩も引かなさそうに思えます

1974年に范文雀(はん ぶんじゃく)さんは

芸能界に復帰しました

[范文雀さんの病気]

1998年(平成10年頃)

わきの下のリンパ節から

悪性リンパ腫と診断を受け

半年に及ぶ入院と治療に入りました

2002年(平成14年)10月頃から体調が悪化

11月5日午後1時38分

東京都内の病院で逝去されました

死因は心不全と発表されました

ご冥福をお祈り申し上げます

では次の嫁に行こう!

寺尾聡さんの再婚の嫁

嫁はモデルの星野真弓さんです

1979年秋の資生堂CM「微笑の法則」に出演しました

[なれそめ]

西部警察に刑事役としてレギュラー出演していた寺尾聡さんと

ゲストとして共演した星野真弓さんは交際に発展しました

当時の星野真弓さんは19歳~20歳なので

一回り以上の年齢差カップルとなったのです

[結婚]

星野真弓さんが20歳で

寺尾聡さんが33歳の頃に結婚

星野真弓さんは芸能界を引退しました

[子供]

3人のお子様が誕生しています

プライベートをほとんど語らない寺尾聡さんですが

とても育メンです

すくすくと成長しました

嫁が留守の時には簡単な料理もするそうです

子供が「お腹がすいた」など

何かちょっと食べたい時は

トーストにハチミツとバターとフルーツで食べることもあるとか

娘は女優の鈴木杏さんに似ているそうです

[寺尾聡さんの病気]

29歳の時に胃潰瘍を発症

4日間、意識不明になりました

この4日間に体重20kgも痩せてしまったそうです

胃袋が裂ける症状と報じられました

その後リハビリに励んだ際

役者はできないかもしれないと考えました

寺尾聡さんの実家

[父親]

父親は名優と呼ばれた宇野重吉さんです

本名は寺尾信夫さんといいます

劇団「劇団民藝」の創設者としてご活躍され

1981年に演劇界へ貢献したと紫綬褒章を受章

1988年に肺がんで逝去しました

[中学時代]

部活動は野球部に所属

4番バッターを務め甲子園を夢見ていたそうです

[高校時代・反抗期]

洋楽に憧れて

エレキギターにハマった寺尾聡さんは

独学で練習していました

音楽バンドが度を越して

停学を繰り返す問題児だったそうです

法政大学第二高等学校を中退されています

翌年には別の高校に入りましたが

昼食の時間に出前をとって厳重注意

さらに留学

3年連続で高校1年生をやっていました

[反抗期の両親について]

お母様は

3年連続1年生を続けた寺尾聡に

「滅多にないこと」とお赤飯を炊いてくれました

お父様は

「周囲からどう見られようが

自分を信じてまっすぐ進め!」と

背中を押してくれるお父様だったそうです

熱い性格で短気で喧嘩っ早く

警察のお世話になったことも多々あるとか

どんな時もお父様は何も言わず

息子の寺尾聡さんを信じて見守ってくれたそうです

エレキギターや音楽バンドの活動に対しても

反対することがありませんでした

やんちゃな学生時代を過ごしましたが

「自分が道を踏み外さなかったのは親父のおかげ」と尊敬しています

偉大な父を持ちながら

父親を超えるほどのご活躍をされました

寺尾聡さんの元彼女

初婚の前に交際していた女性は

ジュディ・オングさんです

「結婚後は家庭に入って欲しい」と強く望んだことが破局の原因といわれています

その後結婚相手となった嫁も台湾出身で

中国国籍の女性

范文雀(はん ぶんじゃく)さんでした

なぜか台湾出身の女性とご縁があるので

どんな人脈で交際に発展しているのか

調べましたが残念ながら出てきませんでした

寺尾聡さんの経歴とプロフィール

[デビュー]

ホリプロダクションに所属した寺尾聡さんは

1965年にカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成

寺尾聡さんはベースギターを担当しました

1966年:楽曲「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー

2stの「この手のひらに愛を」がヒット

すぐにグループが解散しました

[石原プロモーション]

1968年にグループ・サウンズ「ザ・ホワイト・キックス」に参加

シングルを1枚出して解散

その後、俳優を目指してお父様が主宰する「劇団民藝」に入団を志願しますが「親の七光りだと見られる」と入団させませんでした

そして石原裕次郎さんを紹介して石原プロモーションに入りました

同年に石原裕次郎さん(故)の

主演映画「黒部の太陽」で俳優デビュー

この作品で父・宇野重吉さんと共演しています

やっぱり息子が心配だったのでしょうか

これをきっかけとして石原軍団の若手有望の人材として

主にテレビドラマに出演しています

それまで青春ドラマの二枚目半的な役柄が多い中

石原プロモーションのドラマでは

サングラスをかけて渋い表情の演技が増えました

もともとやんちゃな熱い性格なので

青春ドラマの二枚目半より

渋い役者さんの方が似合いそうですよね

石原裕次郎さんや所属事務所の専務に

迷惑をかけていたとか

[ルビーの指輪]

楽曲「ルビーの指輪」って素敵ですよね

1981年:第23回日本レコード大賞を受賞

高校時代から音楽が好きで

学業そっちのけだったことが

ルビーの指輪の制作にいかされました

ラジカセに思いついたメロディーを吹き込み

それを聴きながらギターを弾いて音を拾い

歌詞を差し込んで

ヴォーカルとギターが合ったところで

ドラムを缶に見立てて叩きながら

リズムを刻んで楽曲が仕上がったそうです

楽曲「ルビーの指輪」が大ヒットすると同時に

宝石のルビーの指輪も大人気となって

全国の宝石店から姿を消してしまったそうです

このヒット曲あたりから

石原プロモーションと仕事の方向性について

意見が対立するようになると

クビのような形で独立しました

この影では父・宇野重吉さんが

石原プロモーションとの間を仲介して

石原裕次郎さんが「自由にしてやって」と

話してくれたそうです

その後、個人事務所を設立しました

[誉]

2008年の春に紫綬褒章を受章しました

お父様の宇野重吉さんも紫綬褒章を受章しています

父子2代での受賞となりました

2018年の秋に旭日小綬章を受賞

[寺尾聡さんのプロフィール]

名前:寺尾聡(てらお あきら)

生年月日:1947年5月18日

年齢:72歳(2019年5月現在)

出生地:神奈川県横浜市保土ヶ谷区

出身地:東京都目黒区

身長:176㎝

血液型:A型

出身校

  • 目黒区立第十中学校卒業
  • 和光学園卒業
  • 法政大学第二高等学校中退
  • 文化学院卒業

職業:ベーシスト・歌手・俳優

デビュー年:1965年

所属事務所

  • ホリプロ
  • 石原プロモーション
  • 寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)

父:宇野重吉(俳優)

結婚歴:2度

  • 1人目の嫁:范文雀(はん ぶんじゃく)中国を国籍を持つ元女優
  • 2人目の嫁:星野真弓(モデル)

【アカデミー賞受賞】

  • 第21回優秀助演男優賞

作品「失楽園」

  • 第24回最優秀主演男優賞

作品「雨あがる」

  • 第26回優秀主演男優賞

作品「阿弥陀堂だより」

  • 第28回最優秀主演男優賞

作品「半落ち」

  • 第30回優秀主演男優賞

作品「博士の愛した数式」

【ブルーリボン賞】

  • 第47回主演男優賞

作品「半落ち」

【その他の誉】

  • 2008年:紫綬褒章
  • 2018年:旭日小綬章

最後まで読んでいただきましてありがとうございました

りおさ

 

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こんにちは りおさです。 サイト名「SALON DE RIOSA」はりおさの趣味の部屋です。普段はアトリエで物を作っています。ブログは子供の頃からプロフィールを収集することが好きだったので始めました。周囲にリサーチしていると「りおさの時間を短くしてリオサーチ」と呼ばれるようになったのが始まりです。 いろいろな世代の人が年齢や性別を気にせずに会話が弾んだら楽しいとおもったことがはじまりでした。 このサイトを訪れたあなたにとって、お気に入りのカフェにいるような、気軽な雰囲気でリラックスした時間を過ごしてほしいという思いを込めました。

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