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ユーミンと呼ばれ続ける楽曲と生い立ちから見る愛される理由とは

投稿日:2018-04-09 更新日:

松任谷由実さんはユーミンと呼ばれ、今も広い世代から愛されています。

今でもCDなどから流れる曲を聴くたびに、思い出の数々が蘇ってくる人も多いことでしょう。

ユーミンが愛される理由とは?数々の楽曲から愛される理由が紐解かれていきます。その恵まれた生い立ちにもあるように思います。

【ユーミンの幼少時代】

東京都八王子市で1912年から続く、呉服店に生まれたユーミンは、荒井由実と名付けられました。

兄弟は、三男二女の第四子の二女として生まれたことから、子供の頃から大家族の中で恵まれた環境で、愛されて育ったことがわかります。

6歳からピアノを始めました。

ユーミンは老舗の呉服店の娘さんなので、もしかしたら6歳の6月6日に習い事を始めると達成するという伝承があるようなことに、合わせて習い始めているかもしれませんよね。

11歳の時に三味線を習い始めたようです。

しかし足が痺れるので2年間でやめちゃったそうです。

ユーミンの三味線、聞いてみたいですよね。

音色は、京都のはんなりした音色でしょうか?

それとも青森の激しく揺れる音色でしょうか?

ちなみに小学校の学業は優秀だったそうです。

当時の成績表は5段階でオール5ということをあきらかにしています。

【ユーミンと六本木キャンティ】

中学時代には、夜になると六本木のキャンティというイタリアンレストランに遊びに行くことが楽しみだったようです。

両親に寝てるように見えるように、カツラを買って枕元に置いたと話しています。

当時、港区六本木にあるキャンティというイタリアンレストランは、文化人が多く集まるサロンでした。

中学生の女学生がキャンティに出入りするユーミンは、おませさんだったように思います。

キャンティで文化人と交流を深めたことが、芸能界の扉を開いたようです。

1971年(17歳)の時に荒井由美の名前で「返事はいらない」という楽曲でデビューしました。

1971年という時代は、2018年の朝の連続テレビ小説の「半分、青い」の主人公の楡野鈴愛(にれの すずめ)が生まれた年とされています。

昭和時代の高度成長期にあり、西洋の文化が新しい風を日本に吹き込む時代にユーミンは、でデビューしていたようです。

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【多摩大学で二足の草鞋を履く】

1972年に多摩美術大学に入学すると、実家が呉服店ということから、染色や絵を専攻したようです。

ユーミンは大学では絵を学ぶ一方で、音楽をやりたかったことを話しています。

シンガーソングライターになりたかったことやロック音楽がやりたかったことから、楽曲は作り続けていたようでうす。

ユーミンは洋楽が好きで米軍の売店で、レコードを選んでいたようです。

そのためにロック音楽への憧れが強くあったことや、ユーミンの楽曲からはピアノで曲作りしたのだなと思うような旋律を感じます。

ピアノで表現することにも、こだわりがあるように思いました。

しかし、歌は歌いたくなかったが、周りからユーミンの楽曲を表現するには、ユーミンの声でないと世界観が出ないと説得されて歌うことを決めたと話しています。

1973年に「ひこうき雲」を発売したすると、次々と旋律の美しい楽曲を提供して注目を浴びるようになりました。

「ひこうき雲」は若くして亡くなった友人を思い描いて制作した楽曲で、キーボードでロック音楽ができるかもしれないと思ったことや、重くならないようなメロディーに仕上げていることもあきらかにしています。

【荒井由美としての活動期間は4年間】

荒井由美としての活動が4年間に発売した楽曲は今でも愛され続けています。

「優しに包まれながら」の楽曲は、幼少時代に大家族の中に育ち、ユーミンの発した何気ない一言を、周りの大人たちが、素敵に夢を叶えてくれたことが想像できます。

「卒業写真」の楽曲からは、学生時代の楽しかった思い出や、失敗したり喧嘩したり、恋をした出来事を、甘酸っぱい思い出として歌い上げているところから、友人やボーイフレンドに囲まれて過ごした印象があります。

荒井由美として過ごした、幼少時代から女性への間には、六本木のキャンティに出入りしていても、学業を頑張っている姿も、どのようなユーミンであっても、周囲の人々に受け入れられた、恵まれた環境にあったから生まれた楽曲ではないかと思います。

ユーミンの楽曲には、どこか縁側の陽だまりの暖かさを感じたり、庭先に咲く花のつぼみや、木々に止まる鳥のさえずりが聞こえてくるような印象がありますが、ユーミンの幼少時代には木登りをしたりして、兄弟でのびのびと過ごした時間が詰まっているのかも知れません。

恋愛の教祖と呼ばれたユーミンの楽曲が、今も愛され続けている理由には、永遠に変わらぬ愛が歌われているからではないでしょうか?

1975年に、松任谷正隆と結婚すると、ユーミンは引退したかったようです。

しかし、その才能の豊かさに期待されると、松任谷由実に名前で音楽活動を続けていくようになっていきます。

後に、初めから荒井由美でなく、松任谷由実として出ればよかったとあかしています。

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プロフィール

名前 松任谷 由美(まつとうや ゆみ)

旧姓 荒井 由美(あらい ゆみ)

生年月日 1954年 1月19日(64歳)

出身地 東京都八王子市

所属 雲母社

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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